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[No.9029] ということは  投稿者:田駄雄作  2011-07-18 (月) 14:23
  <URL: http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/>

呉線や筑豊線の逆向き旅客列車は35km/h以下で走っていた,と云うことなんでしょうね.
定期旅客列車の逆向きは山田線のC58が大槌-釜石間にも日中ありました.逆向き運転の速度制限は脱線云々よりも前方視界の問題化と思います.

大夕張鉄道は距離の短い路線でしたが,区間運転を含めすべて前向き運転でした.お隣の夕張鉄道は栗山-鹿ノ谷間の列車は逆向き牽引でした.美唄鉄道や日曹炭礦も逆向き運転でしたね.考え方と労使関係なども影響しているのでしょう.大夕張の96はすべて自動焚き口戸に改造されていて,両手ショベルの投炭をしていました.

大きな声では言えませんが,昔の国鉄の規則は建前的なところも多く,速度制限などは+20km/hが当たり前,という話も聞きましたし,飯山線では←キ100+C56130+逆12199のラッセル回送列車と雪道の中私の運転するクルマと100km/h近い速度で並行道路をサイドバイサイドのバトルをしたことがあります.
C53などは130km/h以上は当たり前だったと,当時現役だった機関士さん(私の遠縁に当たる人です)からうかがったこともあります.

私が学生時代でも,中央線や西武線!などでも100km/h以上の暴走運転する運転士さんがいました.


[No.9027] 本日のUP  投稿者:TADA  2011-07-17 (日) 22:57

大井川鉄道1979・8の続き、101レ川根路号到着
http://c5557.kiteki.jp/html/ooigawa1979-8-5..htm
保存車に武雄温泉のC11259
http://c5557.kiteki.jp/html/C11259.htm
松浦鉄道たびら平戸口駅の鉄道博物館
http://c5557.kiteki.jp/html/tabira-hiratoguti.htm
終着駅は300回、100、200回同様日本一の駅
http://c5557.kiteki.jp/html/syuutyakueki-300.htm

スローピングバックテンダのC56は本来逆向き運転に備えての装備だったのですが、それを禁じ手にされてしまったのは皮肉というしかありません。
9600などもテンダは3軸、従輪なしですが問題はなかったのでしょうね。
C56の逆向きは末期の三江線で見られましたが、これは水害で不通区間があったための処置で、これ以外では伊 謄さんご紹介の小海線の野菜臨の他はみかけませんね。
水の丘さんの書かれた逆後補機の両頭列車も小海線の野菜出荷対応ですね。


[No.9026] C56のテンダは軽かった  投稿者:伊 謄  2011-07-17 (日) 02:11

 こんにちは。
 86、96、C50のテンダですが、これらは6-13型であるのに対し、C56は5-10型で軽いんですね。当初にバックで脱線しやすかったのは、そこにも原因があったのかもしれません。
 ところで、C56のバック運転ですが、小海線での野菜臨がいちばん写されていたのではないかなと思います。野辺山と小淵沢の運行でしたが、野辺山に転車台がなかったために、小淵沢行きが逆行だったようです。

[No.9025] 嵯峨野にて  投稿者:水の丘  2011-07-17 (日) 00:00

C56の運転席に座りましたが、現在のDE10形やDE11形の様に横向きに座って、
どっちでも運転できるようにはなってたみたいですね。
運転席の窓にくっついてる肘掛みたいなものが実は高さをある程度調整できる背もたれだった
というのは驚きでした。
図書館で読んだ本で小海線の混合列車か貨物列車の写真で機関車の向きが「←客車&貨車→」となっている写真(煙の向きは←方向)を
見たことがあるんですが、これはOKだったんですかね?

[No.9024]  投稿者:TADA  2011-07-16 (土) 23:42

テンダ機のバック運転について、何に書かれていたかなと思っていましたが、すでに多くのレスいただきありがとうございました。
私も燕号さんと同じく漠然と国鉄がJR化された折の規制緩和で、と記憶していました。
国鉄時代は45kmかと思っていましたが、それだと大井川での運用の変化には影響出ませんから、やはり35kmだったのかと。
C56の逆向き運転も回送で牽引されているときにも適応される制限なのか、1Cの車軸配置の8620やC50などではこの問題はなかったのか、などつらつら疑問が広がっております。(笑

[No.9023] バック運転  投稿者:燕号  2011-07-16 (土) 22:30

 こんばんわ、燕号です。
 バック運転と言えばC56なら三江北線のC56、筑豊地区のキューロクが頭に浮かびますが、いずれも脱線の話は余り聞きませんね。聞かないだけで実際は発生していたのかも知れませんが。

 C56のバック運転に関しての脱線云々の話も列車先頭だから脱線しやすいのか、バック運転そのものが脱線しやすいのか判らなくなってきました。そもそも本当に脱線しやすかったのかも含めてですが。
 私は車輌の軽さと従輪の無い事がバック運転における脱線しやすさに繋がっていると思っていました。「北びわこ号」のC56160は運転の度に梅小路-米原間の東海道をDD51やEF65に牽かれて回送されていますが、帰路はバックで、しかもかなりの速度で回送されています。又、以前は「北びわこ号」ではバックで客レの牽引していました。問題は機関車だけにあったのでは無く、C56が投入される様な線区の保線、線路状態にもあったのだろうと思えます。

 大井川にC56が入った時、上りも正面で来たので、運転方法が正行に変わったのだと勘違いしてC11を線路際で構えて、真っ黒な四角い箱写真を撮ってしまった苦い思い出があります。


[No.9022] 小馬はウシロに走れない  投稿者:吉野富雄  2011-07-16 (土) 21:38
  <URL: http://www42.tok2.com/home/c11190/index.htm>

 こんばんは。C56のバック運転について補足させていただきます。

「レイル myrail」1979年6月号に寺島京一さんによる「機関車史のうらばなし」という記事が掲載されており、6月号には第13回として、C56のバック運転について紹介されています。タイトルはこの回の副題です。
 この記事によれば、C56の登場から間もない昭和11年に、小海線と七尾線で相次いでC56バック運転時の脱線事故が発生したということです。両方とも後進推進、つまり客車や貨車を先頭にした状態における脱線事故でした。事故時の速度は小海線が28-30km/h、七尾線は15km/hで、かなりの低速でした。
 当時小海・七尾線を管轄していた名古屋鉄道局では、片開き分岐器の曲線をC56単機で(逆行?)通過させて、各位置の動輪フランジとレールとの接触状況を測定するという実験を行いました。実験には小海線の事故機C5626とC5623の2両を使用したそうです。

 その結果、
・C56形は動輪の横遊間が少ない。(第1動輪で左右3.8mmに対し、第3動輪では、2.8mmしかなく、急曲線においては、動輪が競り上がりやすい)
・C56形は、横圧に対して軸重が軽い。
・急曲線、急勾配線区に使用したこと。
・推進運転に使用したこと。 
 以上4点を脱線の原因として考えられる、としています。
 これらの実験結果をふまえて、C56形のテンダー前頭運転は、脱線の恐れがあるから、これを禁止することが必要で、特に後付補機に使用することは厳重に制限するよう結論づけています。

 寺島さんは、当時の国鉄(鉄道省)は、この実験結果を受けてC56のバック運転をほぼ全面的に禁止したのではないかと推測されています。 そして、「従輪のない、軽量のテンダー機の悩みは、最後まで構造上の欠陥としてつきまとったのではないか」と結んでいます。

 田駄雄作さんの書き込みにある「C56は脱線しやすいのであまりバック運転はしなかった〜」というのは、この実験結果に基づくものでしょうか。ただ、大井川鐵道や北びわこ号などでC56が脱線したという話は聞かないですね。JR(国鉄)線であれば、線路の状態が改良されていると思われますし、大鐵も戦前の簡易線に比べれば整備が行き届いているということになるのでしょうか。

 前回の私の書き込みでは、国鉄時代のテンダー機バック運転は全て最高速度が35km/hに制限されていた、という解釈になってしまいますが、呉線のC62バック運転による旅客列車の映像記録を見ると、もっと速いように感じます。従輪のあるC62では、C56とは条件が異なるのでしょうが、実際の運用はどのようになっていたのか興味深いですね。


[No.9021] C56のバック運転  投稿者:田駄雄作  2011-07-16 (土) 14:39
  <URL: http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/>

C56は脱線しやすいので国鉄時代はあまりバック運転はしていなかった,と聞いていますが,大井川やC56160では脱線したと云う話は聞いてませんね.以前とは線路状態が違うのでしょうね.

以前琵琶湖号は,毎日梅小路から米原まで有火で回送されてたことがありますが,PF牽引で結構な速度で走って,C56も力行してました.並行する快速電車も簡単に抜けませんでした.


[No.9020] バック運転の記憶  投稿者:伊 謄  2011-07-16 (土) 09:52

 こんにちは。
 昔の記憶から(笑)、テンダ機のバック運転を引き出してみました。

1.外房線
 房総東線時代の86の貨物ですが、大網から茂原までの下りがバック運転でした。
2.総武本線
 小名木川などに転車台がありませんから、新小岩操車場から小名木川方面へはバック運転が基本でした。
3.八高線
 見ているのは高麗川〜東飯能間だけですが、96の上り貨物とD51の上り回送で出会っています。
4.常磐線
 水鉄局のC50の回送運転は上下線ともバックでしか見ていません(笑)。
5.呉線
 C59牽引の上り普通列車で出会っています。

 出会ったのはこれくらいでした。


[No.9018] バック運転  投稿者:燕号  2011-07-15 (金) 21:50

 こんばんわ、燕号です。
 吉野さん、詳細な解説ありがとうございます。なる程、そう言う規則の改正があった訳ですね。C56が走る日には、翌日も運転が有ると夕刻に、翌日の運転が無いと101レの前のスジで千頭迄機回しの為に電機で回送をしてました。運転の為には随分な苦労があるなあと思っておりました。

 所で45キロ規制ですが、キネマ旬報社の蒸機誌の何号だったか失念しましたが、美祢線のD51バック運転で「45キロ規制を受ける」旨の記述が有ったと記憶しています。従って大井川のC56も当初より45キロ規制だと思っておりました。しかし、バック運転は’87年当時でも「JR化による規制緩和の恩恵」と言われておりましたので、バック運転に関する規制が国鉄と私鉄で違っていて、JR(私鉄)化による一元化で一律旧国鉄の規制値(45キロ)の採用となったのではと自分なりに思っておりました。

 省令公布前はどういう運用だったのでしょう。


[No.9017] テンダー機のバック運転についての規則  投稿者:吉野富雄  2011-07-15 (金) 21:00
  <URL: http://www42.tok2.com/home/c11190/index.htm>

こんばんは。横レスにて失礼ですが、テンダー機のバック運転について書き込みさせていただきます。

 鉄道運転規則の第87条では、
「列車は、炭水車付きの機関車を逆向きにして操縦する場合は、四十五キロメートル毎時を超えない速度で運転しなければならない。ただし、列車の最前部以外に連結する場合は、この限りでない。」
と規定されています。
 この規則は昭和62年3月2日に運輸省令第15号として制定されたもので、国鉄分割民営化のためにつくられたと考えてよいでしょう。
 一方、「鉄道ダイヤ情報」の1987年4月号には「(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化にともない、蒸気機関車の運転規則が改正され、テンダー機関車のバック運転最高速度35km/hが45km/hとなり、(大井川鉄道の)C56のバック運転が可能となります。」とあります。
 燕号さんが推測されたとおり、JR発足にともなう規則改正が、C56のバック運転を可能にしたということになります。

 ということは、この規則ができる前(昭和61年春)に行われた、武豊線や東海道本線におけるC56160のバック運転は最高速度が35km/hに制限されていたということになるわけですね。

 今年10月には、新金谷駅構内に転車台が完成して、大鐵蒸機のバック運転も家山折り返しなどを除いて見られなくなります。正向運転の方が絵になることは事実ですが、特徴あるテンダーを前にしたバック運転が見られなくなるのも寂しいですね。


[No.9016] 教えてください  投稿者:燕号  2011-07-15 (金) 00:40

 こんばんわ、燕号です。
 ハイ、停車駅は急行と同じでした。でも、快速なので急行料金不要でした。国鉄からの乗り入れで、車掌さんは車内精算に大童でした。
 停車駅が家山、上りの笹間渡ですか? 乗車そのものが目的の観光客が主なので、他の途中駅からの乗車は見込めないのでしょうね。でも、列車減便の引き換えに定期券利用者に認められた、SL急行への料金不要での乗車が、停車駅が少なくなると利用しづらくなりますね。

 大井川がらみで一件、皆さんにお尋ねしたい事があります。
 大井川のC56ですが、87年3月迄上下列車ともバック運転はしていませんでした。多分バック運転時のテンダー機関車に対する速度規制だと思われるのです。そして、87年4月の国鉄消滅に伴う規制緩和で
バック運転が可能になったのではないかと思うのですが、実の所はどうなのでしょうか? 何方か詳しい方いらっしゃいましたら教えてください、お願いします。


[No.9015]  投稿者:TADA  2011-07-14 (木) 22:41

燕号さん
ほうほう、「すまた」は定期列車の延長運転でしたか。
大井川線内はSL急行と同じ新金谷、家山、下泉、駿河徳山くらいの停車だったのかな?
そうえいば秋に新金谷にターンテーブルが完成するとSL急行は新金谷発着になって、停車駅も家山と上りの笹間渡だけになるとか。

水の丘さん
神田の交通博物館にも連絡船の模型は各種ありましたが、大宮では常設は数点だけ、それも年表コーナーとか1階とかばらばらになってしまっていますね。
飾り毛布の実演、これこそビデオで記録しておいてほしいものです。

さっしいさん
私の大井川初乗車は1973年春、ちょうど家山の桜が満開で事前情報もなかったので強く印象に残りました。
金谷の転線はそうでした、中線がトンネルのため特殊な配線になっていました。
111系と113系の違いはモハユニットの電動機出力で、クハは111のままでした。
都電の企画展は楽しみです、しかし40種類も系統板集めたものですね、


[No.9014] 東京の交通100年博  投稿者:さっしい  2011-07-14 (木) 19:01
  <URL: http://homepage1.nifty.com/sassy/>

連投失礼します。(書き落としました)
江戸東京博物館で今日から始まった「東京の交通100年博」に、昨日行ってきました。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/index.html

6086や函館のササラ電車(元東京市電ヨヘロ形)の実物は言うに及ばず、さすがに満を持した特別展だけのことはありました。
都営交通という視点ですから都電だけでなく、バスや地下鉄やトロリーバス、上野のモノレールや日暮里舎人ライナーも取り上げられています。営団地下鉄の展示も(隅っこに少しだけ)あって微笑ましいというか…

都電(市電)史の資料的には少々物足りないという感も抱きましたが、都電の壺形広告系統板の「全番号集合」は圧巻ですよ。(もちろん26はありませんが)

同時に販売が開始された写真集もなかなか良い内容だと思いましたが、3800円は高いと感じる方もいらっしゃるでしょうね。


[No.9013] 快速「奥大井」懐かしいです  投稿者:さっしい  2011-07-14 (木) 18:40
  <URL: http://homepage1.nifty.com/sassy/>

あの時代の大井川鐵道、懐かしいです。
TADAさんの写真は私が訪れた時と8年も差があるのですが、雰囲気は殆ど同じです。

静岡から快速「奥大井」で行きましたが、大目玉の111系(?)でした。
(113系という場合もあるんでしたっけ? どうも国鉄の形式にはイマイチ疎くて…)
金谷の国鉄ホームを一旦下り方向へ発車して、トンネルに頭を突っ込んで停止。
それからバックして大鉄側のホームに入ったのでしたよね?

そういえば、自サイトではまだ昭和46年の大井川鉄道のページを公開していませんでした。
10年前から作りかけていたのですが…忘れていました。
その後は都電ばかりになってしまって…
いずれ何らかの形で発表しますね。クハ501の顔が、とても強烈な印象でした。


[No.9012] 津軽丸型  投稿者:水の丘  2011-07-13 (水) 00:37

そういえば、先般、交通科学館を訪問した時に「八甲田丸」の模型があったのですが、何と煙突のファンネルマークの周りだけ黄色の初期カラー。
実物が出来てすぐ展示されたようですが(途中から各船で塗装を変えた)、ちょっと驚きでした。
むしろ八甲田丸で展示して欲しい・・・。

あと西日本の展示なので宇高連絡船がらみの模型が多かったのですが、
それに混じって稚泊連絡船の「亜庭丸」や「宗谷丸」、関釜連絡船の「金剛丸」、「壱岐丸」なんかもありました。

羊蹄丸>化粧毛布の日は私もお仕事です。最終日が近付くと国鉄を知らない国鉄好きがあつまって大騒ぎになりそうなので、遅くても来月中までに見学と撮影は済ませたほうがいいと思います。


[No.9011] 快速「すまた」  投稿者:燕号  2011-07-11 (月) 23:55

 こんばんわ、燕号です。
 名古屋からの乗り入れ列車は快速「すまた」で、実は初めての大井川訪問がこの列車でした。浜松からの臨時列車の設定でしたが、大垣か米原始発の鈍行列車がそのまま延長運転の形で列車番号を変えながら、千頭迄入ると言う、乗り換え無しの便利な列車でした。しかし、大井川線内快速運転の為、停車駅が限られ、本来の降りたい駅で降りられないと言う困った一面も有りました。何時しか姿を消してしまいました。
 写真、撮っているのですが、所詮本番前の試し撮りでした。視野が狭いと言うか、蒸機と言うと蒸機にしか目がいかず、111系もSSEもまともに撮ったモノは有りません。
 現在の補機としての電機は結構シブメですが、元西武の機関車になった時に、あのカラーリングでは派手で撮るに辛くなりますね。

[No.9010]  投稿者:TADA  2011-07-11 (月) 21:12

燕号さん
キャブの「新」は新金谷ですか、なるほど言われてみれば納得です。
「新」というと新鶴見、新津、新見などけっこうありましたね。
家山の給水塔は桜の時期の家山折り返し臨時列車のほかどれだけ使うんだ?と思っていましたが、101レの前の家山折り返しは案外走っているようですね。
実は今年の撮影分の2月9日にも運転され、8月にも見たことがありました。
神尾の土砂崩壊で家山〜千頭で運転していたときにはまさに「こんなこともあろうかと」でしたね。
111系乗り入れ車は毎シーズン運転していたわりに写真など見かけませんね。有名撮影地の橋梁などをゆく111系は今から見ると新鮮でしょうね。

田駄さん
ご案内ありがとうございます。烏山線は私も先日行って来ましたが、全線なかなか良いロケーションですね。
そば屋さんはぜひ一度あの盛りを体験してください。(笑
いすみも今回UPされた紫陽花はじめ四季折々の花が楽しめそうですが、夏は暑そうですねぇ・・・ヘビやヒルも出るというし・・・


[No.9009] 早くも暑中お見舞い申し上げます  投稿者:田駄雄作  2011-07-11 (月) 10:13
  <URL: http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/>

TADAさん、いつもお世話になっています.今年は例年になく、大した雨量もないまま早く梅雨があけて猛暑が続いていますね.あと2ヶ月あまりの暑さをどう切り抜けて行くか不安です.
この夏は多くの魅力ある被写体が運転されています.撮影には行きたいですが、この暑さの中では体が持つかどうか心配です.

この4月から運転を開始した、いすみ鉄道のキハ52125を何回か撮影に行っていますが、最近作を追加してアップしました.
また栃木県烏山線の国鉄色キハ40形も2回ほど撮影に行き.その成果もアップしています.
気動車ばかりになってしまいましたが、お時間がありましたらご笑覧頂ければ幸いです.

そばやさんはお休みでした.


[No.9008] 新金谷  投稿者:燕号  2011-07-10 (日) 23:45

 こんばんわ、燕号です。
 早速、大井川拝見しました。国鉄車輌の乗り入れ時の千頭駅風景、懐かしく見させて頂きました。又、最近の千頭駅での給水風景にも驚かされました。あんな細いホースで給水しているのですね。家山駅の給水タンクでももっと太いホースで給水していました。因みに運用表の「新」は新金谷機関区を意味する物だと思います。要するに区名札差が2箇所あるような物です。

[No.9007] 本日のUP  投稿者:TADA  2011-07-10 (日) 23:01

大井川鉄道1979・8の4回目、千頭。
当時から保存車にまじって留置車がごろごろといました。
http://c5557.kiteki.jp/html/ooigawa1979-8-4..htm
一方今年2月の大井川、その2から5まで
http://c5557.kiteki.jp/html/ooigawa2011-2-2.htm
保存車はD51を2両、弘前の892号機に画像追加
http://c5557.kiteki.jp/html/D51892.htm
佐世保の1142号
http://c5557.kiteki.jp/html/D511142.htm
ついでに旧博多駅跡の九州鉄道発祥の地記念碑、C6118の動輪
http://c5557.kiteki.jp/html/kyusyu-tetdou-hasyounohi.htm
終着駅はJRで一番、でもレールの繋がっている路線のほうが・・・
http://c5557.kiteki.jp/html/syuutyakueki-299.htm

[No.9006]  投稿者:TADA  2011-07-09 (土) 20:06

伊 謄さん
高砂線は廃止の比較的近くまで貨物を扱っていたようですね、また工場入場車も1979年だとまだまだあったでしょうからその可能性が高そうですね。

水の丘さん
例年海の日前後には船の科学館の宗谷と並んで係留している海上保安庁船舶の公開があるのですが、今年は震災の影響でないそうです。
羊蹄丸を眺めるのにちょうど良いところなのですが・・・
練習船銀河丸の公開はありますが、親子限定50組なので参加は難しそうです。
23日には飾り毛布の製作実演がありますが、残念ながら私は行けません。

白い国さん
D51882デフ装飾の鮮明な画像、ありがとうございます。
変更後の「月」は少々いびつに見えますね。
デザイン的にこのほうが良いということで変えられたのか、はたまたなにか別の事情か、最悪装飾を外そうとした輩でもいたのでしょうか。


[No.9005] D51882=月に鹿  投稿者:白い国  2011-07-09 (土) 10:12
  <URL: http://homepage2.nifty.com/station-akane/A-D51882.jpg>

興味深く拝見させて頂きました。問題の間の画像では有りませんが、変更後の公式側画像が有りますので、

月に鹿、変更後の公式側デフの部分画像を、提供致します。
カラーが変更前、モノクロが変更後となります。
残念ながらモノクロ分の撮影は、昭和48年7月16日となっています。
此の時にじっくりと拝め、弓(月)と矢(鹿)の状態となっている事に、初めて気が付きました。

昭和47年10月14日撮影分が有りましたが、デフのマークは判別不能です。

尚、画像掲載は、7月12日一杯とさせて頂きすので、必要でしたらダウンロードにて保存願います。

http://homepage2.nifty.com/station-akane/A-D51882.jpg


[No.9004] 羊蹄丸  投稿者:水の丘  2011-07-08 (金) 00:44

仕事帰りに船の科学館共々見てきました。
本館のほうのも、中に入るとだいぶ老朽化が進んでますね。
というか、B1の展示室から一気に2階に階段で上がれという何とも
肉体派な科学館ですなぁ(改装でエスカレーターがつけばいいのですが)。
3階のラジコンは商船がほぼ休止で軍艦と巡視艇ばかり。
100円を入れるとビーッ!というブザーと共に3分くらい操縦できます。
すぐ隣りが海保の管制室なんですが煩くなかったかなぁ。

羊蹄丸は船内に入ったのは初めてです。外装はともかく内装を大幅に
変えた事に抵抗があって、足が遠のいてました。
近付くと色褪せや腐食による脹らみがあちこちにみられ、見た目以上に
老朽化が進んでいるように見受けられました。
中身は大改装され過ぎて、何がなにやらといった雰囲気でした。
車両甲板の客車と機関車は状態良好(車内に埃が積もってる以外)ですね。
確かにあれだけでも搬出したいですねぇ。

「宗谷」は残すみたいですが、あちらも相当老朽化が進んでますな。
今回は見学しませんでしたが。

南極観測船の選定のとき、元稚泊連絡船の「宗谷丸」と今の「宗谷」で、
もし「宗谷丸」が選ばれてたら、新旧鉄道連絡船2隻が並ぶシーンが
見られてたのかもと思うと残念です。


[No.9001] 高砂の貨車  投稿者:伊 謄  2011-07-04 (月) 23:06

 こんにちは。
 高砂駅の貨車ですが、黒色貨車は1984年ぐらいまで普通に使われていましたから、これらは高砂工場での検査のためにきたか、あるいは検査が終わって帰ろうとするところだろうと思います。
 車両の艶から見ると、検査待ちでしょうか。

[No.9000] 本日のUP  投稿者:TADA  2011-07-03 (日) 23:03

保存車に藤井さんご提供、横川SAのキハ57?
http://c5557.kiteki.jp/html/yokokawaSA.htm
同じく群馬県から、わたらせ渓谷鉄道神戸駅のDRCが塗装復刻
http://c5557.kiteki.jp/html/toubuDRC-hozon.htm
佐世保線大町駅前の29611
http://c5557.kiteki.jp/html/29611.htm
終着駅は久しぶりに国鉄、側線の貨車は現役か廃車待ちか
http://c5557.kiteki.jp/html/syuutyakueki-298.htm

[No.8983]  投稿者:TADA  2011-07-01 (金) 00:06

伊 謄さん
エレベーターを止めてしまうのはどう考えても行き過ぎですね。
私の地元駅はエレベーターとエスカレーターの乗降口が接近していて、改札も1箇所なので、エスカレーターが日中停止していてもなんとかなるようですが、駅によってはエレベーターをエスカレーターが離れていても片方停止しているところもありました。
節電は理解できますが、結果弱者切捨てなことに事業者は気が付いていなかったのでしょうかね。

水の丘さん
よく今まで1本だけ残っていたな、というのが正直な感想です。
顔は変わったもののまだまだ大所帯ですからねぇ、東武8000系は。


[No.8982] アオガエル  投稿者:水の丘  2011-06-30 (木) 23:27

ラジオの車内放送もやってたそうですね。通勤形電車ばかりの中、それなりにサービスをやろうという経営姿勢だったのでしょう。
今、東横線は急行停車駅にホーム延伸工事をやってますね。
副都心線への直通は急行や特急が中心になるようです。
車両も5050系4000番台がお目見えし、5050系が有楽町線入りするなど来年の直通開始を控えて
着々と準備が進んでます。

今日、夜勤明けで寝過ごして昼に和光市に出てしまったら、ちょうど最後の「東武顔」8111編成と行き会いました。
今日で最後だったみたいです。8000系はまだまだ残りますが、「東武顔」の消滅でまた一つ時代が終わりました。


[No.8977] 障がい者と節電  投稿者:伊 謄  2011-06-29 (水) 07:15

 こんにちは。
 水の丘さんの投稿で「障害者というのは、非常時には真っ先に切り捨てられてしまうんでしょうね」という記述がありましたが、これはまさにその通りですね。
 春先の節電ブームの際に、エレベータを停めた駅があったという書き込みに出会ったことがありました。
 ちなみに、わたしが障がいを持っていますので、なるべく不便な鉄道は使わないようにしています(笑)。

[No.8976]  投稿者:TADA  2011-06-28 (火) 20:45

水の丘さん 永野さん
日中室内消灯は私鉄らしいキメ細かい対応ですね。
お二方とも昔の記憶にしっかり刻まれており、さすがです。
私が幼少時親しんだ京成、東武ではそういった記憶がないのですが、やっていなかったのか、ぼーっとした子供だったのやら・・・

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