汽車・電車1971〜 掲示板 |
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水の丘さん
例年海の日前後には船の科学館の宗谷と並んで係留している海上保安庁船舶の公開があるのですが、今年は震災の影響でないそうです。
羊蹄丸を眺めるのにちょうど良いところなのですが・・・
練習船銀河丸の公開はありますが、親子限定50組なので参加は難しそうです。
23日には飾り毛布の製作実演がありますが、残念ながら私は行けません。
白い国さん
D51882デフ装飾の鮮明な画像、ありがとうございます。
変更後の「月」は少々いびつに見えますね。
デザイン的にこのほうが良いということで変えられたのか、はたまたなにか別の事情か、最悪装飾を外そうとした輩でもいたのでしょうか。
月に鹿、変更後の公式側デフの部分画像を、提供致します。
カラーが変更前、モノクロが変更後となります。
残念ながらモノクロ分の撮影は、昭和48年7月16日となっています。
此の時にじっくりと拝め、弓(月)と矢(鹿)の状態となっている事に、初めて気が付きました。
昭和47年10月14日撮影分が有りましたが、デフのマークは判別不能です。
尚、画像掲載は、7月12日一杯とさせて頂きすので、必要でしたらダウンロードにて保存願います。
羊蹄丸は船内に入ったのは初めてです。外装はともかく内装を大幅に
変えた事に抵抗があって、足が遠のいてました。
近付くと色褪せや腐食による脹らみがあちこちにみられ、見た目以上に
老朽化が進んでいるように見受けられました。
中身は大改装され過ぎて、何がなにやらといった雰囲気でした。
車両甲板の客車と機関車は状態良好(車内に埃が積もってる以外)ですね。
確かにあれだけでも搬出したいですねぇ。
「宗谷」は残すみたいですが、あちらも相当老朽化が進んでますな。
今回は見学しませんでしたが。
南極観測船の選定のとき、元稚泊連絡船の「宗谷丸」と今の「宗谷」で、
もし「宗谷丸」が選ばれてたら、新旧鉄道連絡船2隻が並ぶシーンが
見られてたのかもと思うと残念です。
水の丘さん
よく今まで1本だけ残っていたな、というのが正直な感想です。
顔は変わったもののまだまだ大所帯ですからねぇ、東武8000系は。
今日、夜勤明けで寝過ごして昼に和光市に出てしまったら、ちょうど最後の「東武顔」8111編成と行き会いました。
今日で最後だったみたいです。8000系はまだまだ残りますが、「東武顔」の消滅でまた一つ時代が終わりました。
吉野さん
週末は関東はしのぎやすかったものの、電力不足が言われる中で猛暑予想は誰を恨めばよいのやら・・・
かといって冷夏では米はじめ農産物の出来など悪くなって東北にまた打撃になってしまいますから、ほどほどの例年並みの夏であって欲しいものです。
おまけに8月からうちのとなりで工事が始まり騒音、振動とも付き合わなければならないので、今から憂鬱です。
C6212のつばめマークの有無は、八高ヤードに吉野さんの考察や松謙さんのご回答をあげて以来、出版物などでマークがあった、と断定する記事はなくなったように思えます。
いずれにせよ誤記は怖いですね、知らず知らずにそれが定説になってしまうと・・・
七条又一郎さん
放置車両の情報ありがとうございます。
ただ、これは個人所有の物件ですから所有者の確認がない場合、あまり具体的な場所などは公開しないほうがよろしいかと私は考えています。
残念なことに世の中善人ばかりではありませんので・・・
名鉄瀬戸線の尼ヶ坂〜清水付近も都心部とはいえ、30年ほど前はまだまだのんびりとした雰囲気が残っていますね。現在は高架化され、ステンレスの4000系が増えたこともあって、かなりイメージが変わってきていると思います。
豊橋鉄道市内線の駅前付近も、30年前はすっきりした印象を受けますが、現在はペデストリアンデッキの完成などで、大きく変化しています。駅前電停がJR・名鉄豊橋駅のペデストリアンデッキ下に延長・移動されたので、乗り換えは便利になりました。
名鉄の「高速」については、名鉄時刻表の1984年版(Vol.1)から1986年版 (Vol.3) までは、正式名称を「高速急行」とする記述があったそうですが、1987年版 (Vol.4) 以降は正式名称も「高速」へと表記を改めたとのことです。(wikipediaの記述を参照しました)
国鉄の「エコーもりおか」は、速達性をPRするために「高速急行」というキャッチコピーを使ったものと考えられますが、名鉄もおそらく同様の意図があったのではないでしょうか。
今春のダイヤ改正で、名鉄に5700系や1800系などを使用した全車一般車特急(全車自由席特急)が登場して話題となっています。個人的にはこの列車にこそ「高速」を名乗って欲しいと考えています。少なくとも「全車一般車特急」よりはすっきりして気の利いたネーミングと思うのですが…。
都電の本の内容に関して話題になっていますが、都電に限らず「ちょっと調べればわかるでしょう」といいたくなるような、誤記が散見されるのは残念です。
私事になりますが、かつて話題になったC6212号機のツバメマークについて、私は「ますついていなかったと思われる。ついていたとする説は、C622号機の誤認か記録時のタイプミスが原因ではないか」と考えています。ただ、その結論にいたるまでに浜松時代のC6212号機の写真を探し(今までに3種類見つけましたが、いずれもデフにマークなし)、当時の乗務員氏の回想録なども可能な限り当たっています。本当は、直接お話を伺う機会があるとよいのですが、そこまでの伝手がないもので…。もちろんツバメマーク付きのC6212号機の写真が発見されるなど、確実な証拠があれば自説の間違いを認めます。
未だにC62関係の書籍で例のマークについて、「ついていたといわれているが、写真は残っていない。幻のマーク」等という記述がありますが、著者は本当に写真を探す努力をしたのかな?と思いたくなることがあります。少なくとも一読者よりは、資料の提供を受けやすい環境が整っているはずなのに。
くだらない話を長々と書きましたが、都電についての誤記もこのあたりに原因があるのではないでしょうか。もっというと、安い予算と短い編集期間で本を仕上げようとする姿勢が背景にあるのかもしれません。
と、偉そうなことを書きましたが、No.8935の記事でまたまた誤変換がありました。以下の通り訂正させていただきます。
誤:計画され他系列のため
正:計画された系列のため
誤:サービスコストとして高架に
正:サービスコストとして高価に
また、No.8965で、なぜか編集中の文章を送信してしまいました。お手数をかけ恐縮ですが、削除をお願いします。
長々と失礼しました。
そういえば節電が始まった頃、マニュアルが統一されていなかったのか、
西武の車両は消灯されてて東京メトロの電車は煌々と灯りをつけて走ってました。
単に他社様のものを下手に触って壊したくないという心理が働いていただけかもしれませんが、
お宅の30000系「スマイルトレイン」、基本的に同じ電車なの分かってます?とツッコミを入れたくなりました
(スイッチの位置は違うでしょうが標準設計の同一規格品のはずなので分かると思うんですが)。
東京メトロといえば、やっぱり計画停電をやり始めた頃ですが、地下鉄成増駅で身障者トイレを使用停止にしてました。
というか、自動ドアの電源を落として「御利用の際は駅員をお呼び下さい」というやつになってました。
流石にやりすぎと感じたのか、クレームがついたのか、その1回しか見たことがありませんが、
障害者というのは、非常時には真っ先に切り捨てられてしまうんでしょうね。
さっしい様>
御指摘すいません。ありがとうございます。確かにそれはひどい間違いですねぇ。
イカロス本、もう少し内容を整理できなかったかなぁ・・・というのが感想でした。
特に車両紹介の記事の写真と文章の配置、戦前の電車の紹介がゴチャゴチャしてて読みづらかったです。
というか、貴重な写真が小さすぎて見づらいというのがちらほら・・・。
全く持って勿体無い。
燕号さん
立席急行券とは読んで字のごとく、全席指定の急行に乗車するときに発行されたものです。おそらく発行駅、枚数とも限定だったのではないでしょうか。
昔はボックスシートの向かいのオバチャンからミカンやリンゴもらったもんですねぇ、これもいまや懐かしい昭和の鉄道風景なのか・・・
さっしいさん
サポートサービスの電話の繋がらなさも相変わらずです。
以前よりはマシになったのかもしれませんが、それでも20分待ちでした。
永野さん
必要以上に明るくすることもないですが、かといってここまで消灯してしまうのはどうなの?というところもありますね。
弱視の方など苦労されているのでは、と心配になります。
中央総武線各駅停車西行きは日中大久保を出るとアナウンスがあり消灯します。
東中野の跨線橋の下ではかなり暗くなります、こういうところもっとこまめに対応できないもんかと私も感じております。
> 水の丘さん
今回「都営交通100年のあゆみ」と、別に都電の写真集が出るようですね。それにDVDも。
ただ一つ不安なのは、過去の年史類での誤りがそのまま継承されはしないかと…。
前回の書き込みでは少々言葉足らずでしたが、学研の本では「亀戸を走る路面電車を市電と誤解している」のではなく、「錦糸町を走る市電の写真に亀戸という説明を付けている」という意味です。
余談ですが、紹介された席は富士登山の元気なおばさん団体のど真ん中で、当時紅顔の美少年?だった私は、みかんや弁当等色々なモノを頂きました。又、夜の東海道はカモレが主体で、急行「銀河」は特急貨に抜かれまくっていました。
「くりこま」は電車急行がDC急行を追い抜くと言うのでも有名でしたね。急行が元気な頃は特急顔負けの急行がいました。函館本線の急行「さちかぜ」には乗ってみたかったです。まあ、今は快速が元気ですから、特急顔負けの快速がありますね。
名古屋のレトロでんしゃ館でも同市発行の記念本が販売されていましたが、
デザイン博直後の発行なのでバスを中心に資料が古すぎて・・・。
イカロス本買わせていただきました。サッと読みましたが、割と荒川線以外廃線のちょい前の新しい写真が多いですね。
木造4000形に2ドア改造車がいたのは初めて知りました。
亀戸で市電・・・。城東電気軌道を知ってる人が果たしてどれだけいるか・・・。
さっしいさん
汽車会社線云々の文章、機械翻訳かい?!と言いたくなりますね。
なんでこんな文章でOK出たんだろうなぁ、編集がまじめに仕事していないってことでしょうね。裏焼きなど番号が見えるなら誰でも気が付きそうなものですが・・・
X-103さん
函館関連のご指摘ありがとうございます。
イカロス本作成にかかわった方もこの板ご覧になっているので、増刷があればそのときに、と思いますがムックでは難しいかな・・・
Blog拝見しました、つき気になって著作権関連記事読ませていただきましたが、私も似たような経験しています。
画像板などで自分の写真見つけたときの気分の悪さと言ったら・・・半ば転載は仕方ないとは思っていますが、要は撮影者にどう思っているかですよね。
敬意とまでは行かなくともそいうった気持ちがあればどうぞどうぞといく気分にもなれるのですが。
急行「エコーもりおか」、懐かしい列車名です。私がまだ中学生で、列車に余り詳しくなかった頃、旅好きな友がこの急行を教えてくれました。急行なのに停車駅は特急並みの乗り徳列車だと。
名鉄の「高速」は運転前は新しい列車種別とか、随分新聞などでも紹介された記憶がありますが、無くなる時はさほど話題にならなかった様な気がします。'86年頃の近鉄にもこの種別は有ったと記憶しています。上本町-宇治山田間?の料金不要のロングシートの臨時列車で一日一往復だけだったと思います。停車駅は乙特急以上に少なかったのですが、表定速度はそれ程でも無く、乗車した友に聞いたら、特急退避の運転停車が有って、これが結構長かったとの事でした。こちらも何時しか
消えてしましました。そもそも何故この様な列車が設定されたのかよく判りませんでした。
イカロスの本、都電(東京市電)に関する誤りや疑問点などは編集部に伝えておきましたが、細かく数えて20箇所近くありました。
相変わらず、ポーツマス条約がらみの電車焼打事件と、翌年の料金値上げ反対集会の暴動(投石・襲撃のみ)とを混同しているようですし。
また、18系統の実際の廃止年月日については既に疑いようは無いと思いますが、14系統荻窪終点の移設日などは弊サイトの掲示板上でも論議中です。
ただし、先ほど指摘した学研の本の誤り(および、わけの分からない文章)は、イカロスの比ではありません。
函館の件は大変参考になりました。ありがとうございます。
(TADAさん、個別交流にて失礼しました)
例えば、東京市電ヨヘロ1型が東京市電気局から帝国電力(現在の函館市電の前身)が購入した時期を「大正末期の大火の後」としている点がまず気になりました。
そもそも、大正末期に函館では大火は発生しておらず、路面電車が多数巻き込まれた火災であれば大正15年1月20日に発生した新川車庫火災ぐらいしか該当せず、その際に東京市電気局から買ってきたのはヨヘロ1型ではなくヨヘシ型ですね。ヨヘロ1型を買ってきたのは昭和9年の函館大火の直後から昭和11年までの2年間ですし、あの記事は新川車庫火災と函館大火をかなにり混同した末に生まれた記事のようですね。
筆者と校正の担当者のリサーチ不足が露呈していると言えなくもないかもしれませんが、せっかく都電100周年の目玉としてササラ電車を東京に一時里帰りさせるわけですから、正しい情報を書いてほしかったですねぇ・・・。
一見して、私の好きな昔の絵葉書や戦前の写真や地図などが多く、またすぐ気軽にに褒めちゃったんですが、キャプションなど説明は嘘だらけ。文章も意味が通らない部分が多かったり、首を傾げざるを得ない箇所が(決して大袈裟でなく)各ページに一箇所くらいずつあります。見ればすぐに分かるはずの裏焼き写真もありますし。
ともかく、およそ「校正」などを行った形跡の無い本で…内容の誤りや誤植などはどの本でも見られるのですが、この本では何が言いたいかわからない文章も多く…
<例>「浅草の雷門には、明治37(1904)年に上野駅前からの電車化路線が馬車鉄になって開通。」
「南砂町2丁目から3丁目にかけて汽車会社線の珍しく長い専用路線で東京オリンピック後も存在した。」
現両国高校(府立三中)から錦糸町駅方向を連続して撮ったかと思われる2枚の写真のキャプションのうち、1枚は「江東橋」(これだけは正解)と見出しを付けながら「亀戸の街を走る市電」と説明、もう1枚は「亀沢町交差点付近」と表示ておいて何故か「亀戸付近の風景」と解説し…もう何を言いたいのやら?しかも昭和初期に「亀戸」を走る「市電」ですか?
まだ3分の1しか読んでいませんが、先へ読み進むのが怖いような…
今年は都電100年本が次々に出版されそうですが、是非「きちんとした内容のもの」をお願いしたいですね。先日のイカロスの本も、6年前の自社本の文章を再利用しながら「右折」や「左折」が何箇所も逆になっていました。
長々と文句ばかりで申し訳ありませんが、安くはない金額を支払って購入する本ですし、作る側はもう少し真面目に仕事をしてほしいものです。ちなみにこの本、私のような明治・大正・昭和戦前の市電写真好きにとっては、なかなか良い内容なんですよ。文章以外は…
西武は90年代後半ぐらいから回送車でも車内照明点灯させてますよ。
何でも車内照明を消していると「動かない電車」と勘違いして近付いたり、寄りかかったりする
正直、頭のよろしくないお客との触車事故を防ぐためだそうです。
ただ、節電対応で営業中の電車が橋上駅舎の駅下でも車内照明を切ったままの今はどうか分かりませんが。
関西私鉄は震災以前から日中照明切ってる事が多いですね。
しかも橋上駅や住宅密集地、山影など暗がりに入る前後だけ点けたり消したりする芸の細かさ。
テクニックだけでなくサービス精神として見習って欲しいです。
名鉄高速の正式名称は高速急行、と吉野さんから書き込みいただきましたが、非公式でこの名称を国鉄で使ったことがありました。
1971年夏に登場した「エコーもりおか」臨時急行ながら特急なみに停車駅を絞り、全車指定の俊足急行でした。
この夏、家族旅行で仙台に行った折に仙台駅の横断幕に「高速急行エコーもりおか」と書かれていたのを強烈に覚えています。
時刻表などにその表記は全くなく、上野駅などでも見た記憶はないので、仙台支社の独自表現だったのではないかと思っています。
吉野さん
今はLED表示で英文のほか中国語、ハングルまで表示しますが、当時は英文表記もないところが多かったでしょうね。
瀬戸線に新造車、と聞いたときは名鉄もやるな、と思ったものですが、非冷房と知ってやはり、とも感じたものです。
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