〜舞!組曲 掲示板〜 |
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久々の接近遭遇だった様ですね。
>海から様々なものが漂着すると水平線の向こうに彼岸が
農業を生業とする民の霊魂感を柳田氏は、山ノ神と田ノ神の循環説で
説明して、その神の正体が祖霊であるとしたのは、思えば単純で明快ですね。
では、海辺の民の霊魂感はどうなんだろう、って思ってしまいますが
案外と自分は不勉強なんだと思いしりました。
今日は夕刻に、精霊船を海に流す 精霊船送り を昨年と違う場所で撮影
してくる予定です。地元の人に霊魂感を訊ねてもいいですが、行事を
行っている人でさえ 現代的な考えになっているでしょうから、精霊船
が始まった当初の観念を聞き出せる可能性は、、、って思います。
民俗的な まつり って、どこでもかつての意味を失ってますしね。
“あの世とか浄土”って、海の彼方か海底か、どこにあるのでしょう?
って訊ねたら 逆に笑われそうで恐いです(苦笑)。
阿蘇神社の社殿の配置は特殊ですね。三つ社殿が並んでいながら、主祭神が
向かって左側です。中央が外殿とは、、、。
数が一致しなくても不思議でないのかもしれませんが、三社殿なら御神輿も
三基かと思ったら四基。そして宇奈利は十四人と、その数の理由が分かれば
なんでもないことが、最初は本当に不思議でした。
>阿蘇神社のあたりはとくに湧水の噴出する地点で、それが火口の神霊池と繋がっているとする観念
仰いますように、神社の周囲には門前通りのあちこちにも湧水が豊かに名水として
出てますね。
しかし宇奈利が火ノ神と水ノ神にも御神饌で奉仕しながらも、阿蘇神社
内部には十二神しか祀られていません。そこでひょっとしたらと思ったのは、
御仮屋の二つが単なる十二神の御旅所ではなく、火と水の神の社殿では
ないかと思ったのです。外来神の陰に隠された社殿です、、、想像ですが。
外来の神様が、元々の神様を密やかに尊重するのは、伊勢神宮の月次祭
などでもそうですよね。天照大御神より先に、興玉神をお祀りしますから。
興玉神は猿田彦という説もありますが、天照大御神が鎮座する前からの神様説もありますし。
そういえば明日から山鹿灯籠祭りですね。こちらは天気が悪いですが、
熊本はまずまずのようで、安心です。
書き込み、どうもありがとうございました!
今夜のブログ、死霊は山へ登る説が一つの説にすぎない、海辺の鎮魂ですよ。(ご多忙中恐れ入ります)
阿蘇神社の十二の御祭神は、神武天皇の命を受けて かの地を平定にやって来た
いわば外来者の一族です。
宇奈利は その十二神に献じるだけでなく、火の神・水の神の二神にも献じる
ので、十四人によって御神饌が運ばれます。
実は阿蘇神社の十二神以外の二神(火・水)が最重要ではないかと、想像しています。
神様の名前は火と水としか無いですが、恐らく主祭神である健磐龍命らが
阿蘇の地に侵入する前からの地霊だと思います。その地霊を鎮めないと
十二神も安泰でないから、献じるのは重要事項なのだと思います。
これまで熊本へは途中の山口線で撮影するため、当地を深夜に出て
山口に早朝に着くように走ってました。山口線で撮影後に熊本へ向かうと
寝不足でヘロヘロでしたが、今回は睡眠はしっかり取って朝に出発しました。
途中合計30分の休憩と2回の渋滞で10時間かかりましたが、予定通り
夕食を熊本で馬刺しでとることができました。徹夜運転でなく万全の体調で出発すれば、
熊本も案外と近いと感じました。
>写真とキャンプションを見直すたびに疑問点が涌いてきます
頭上運搬する宇奈利って、どんな由来の言葉かも記してないキャプションですが、、、(汗)。
白装束は、海女さんの磯頭巾を被った磯着にも似てますが、海女さんの
白装束は近年のことですから共通性は無いですね。むしろ目だけ出して
全身を隠してしまう “徹底した没個性” のスタイルに戦慄してしまいます。
禁欲、清潔、無装飾で徹底して個を殺して神に仕える姿勢は考えられない姿です。
それが撤下した御神饌に奉仕する姿ですからね。 唐櫃の重さも7〜8Kg
になるかもしれません。ずっと全行程3〜4Kmを頭に乗せて歩く姿は、
苦行のように思えます。
ただ、、、想像ですが、、、全身白装束は、あるいは 死装束 かもしれません。
神に仕えるには、この世の存在ではいけないという忌みの姿で、死後の
姿になっているのかもしれませんね、宇奈利は。
宇奈利は、有成り でしょうか、、、無成り かもしれません。。。
_____________________
< 初孫 様
>真野ちゃんショートカットにしてから、初めて見れると思ったら
昨日の昼公演で、初めてショートカットをみましたよ。やっぱキャワイかったです!
ウサニ、最前列とは、今年は運の良い年ですね!おめでとうございます(笑)。
自分、後半の日程で行く予定ですが、まだチケットが届きません。
小説は読んでみましたが、あの小説だとウサニに台詞らしい台詞が無い
ですから、脚本家がどう演劇化しているか楽しみです。
ところで舞台【悼む人】の名古屋公演ですが、もう先々行予約が知らないうちに
有ったようで、完売したそうです。うっかりしてました。FCの扱いが
有るのか無いのか、、、TELでの先行予約はバスツアーの最中ですから
気が気ではありませんね。チケットが取れないで「痛む人」には
なりたくないですねぇ〜。
阿蘇市は7月12〜14日ころの豪雨で甚大な被害が出たと名前の出ていた処です。
実際、どのような状態か行くまで不明でした。事前にチェックしていた
阿蘇市のHPでは、観光施設は全く問題なく一部を除いて通常通りとのことでした。
一部の報道でも取り上げられたことがあったように、阿蘇市というだけで
壊滅的なイメージの風評被害で観光客が激減し、阿蘇市のHPも観光客の
誘致に必死のニュアンスでした。
実際に熊本市から阿蘇市へ国道57号線を走っても被害は見られず、田畑も
被害があるように見られず、農作物被害も無さそうでした。
ただ、被害に遭われた場所は近年の雨がそうであるように、恐らくスポット的に
殺人的な降り方をしたのだと思います。僅かな場所の違いで被害が出たり
無傷であったり、近年の異常な気象状況での予測がつかないゲリラ的な
豪雨に、いかに脆いか露呈した雨だったと思います。
そんな自然の驚異を目の当たりにし、豊穣を願う「おんだ祭」は、神様に
自然への畏怖と荒ぶる脅威の鎮魂のための重要な儀式だったと思います。
何事も無く無事に収穫ができるように、祈りが通じるよう願うばかりです。
< さぎ草 様 どうもです!
>旧北陸線、杉津・山中越え(21)とありますが
この日は敦賀のお魚広場へ案内するからと、妻を同行させました。
その後に杉津・山中越えに行ったのですが、約25kmの距離を
2時間半かけて移動しながら撮影しました。さすがに妻に申し訳ないので
それ以上はしつこく探訪しませんでした。 蛇の出ない季節になったら
また探訪しようと思ってます。見落とした遺構が有ると思います。
特に、小川にかかる橋梁をそのまま自動車道路に転用したのとか、有るかもしれません。
廃線跡も、蒸気機関車が走っていたかと思うと興奮します。廃線跡は
まれに有るでしょうけど、蒸気機関車が走っていた線路跡を、そのまま
自動車で走ることが出来る箇所って、そうは無いと思います。
>トランペットが一階最後列にいた私にはまるでモハメド・アリのストレートパンチをくらったような衝撃でした
今夜の日経新聞には、イギリスのブリテンなんぞのオペラの話題が載ってました。
あまりイギリス人作曲家が注目されることが無かったのだが、ブリテン
などは“日本人歌手向き”なんだそうです。ワーグナーなんぞは、日本人には
声帯からいって無理があるそうです。同様に、後期ロマン派の管を聴いていると
日本人が欧米の肉ばかり食ってプロレスラーのような体型の管楽器奏者
のような音を出すのは、どだい比較しても無理かと思います。
朗々と鳴るヴァーグナーやブルックナー、狂気のマーラー、、、
あああ〜〜〜って管の音が掠れたり裏返ったり外したり、いろいろ
クリアーしても、後期ロマン派の弩迫力はやっぱ欧米のオケには敵いませんなぁ。
>伊福部先生の「シンフォニア・タプカーラ」
CD、持ってなかったので、帰宅後に直ぐWEB通販をポチってしちゃいました。
もう今日、着きました。広上淳一指揮・日本フィルです。
だいたいこの手のCDって、何枚くらい出るんかのぉ〜。数百枚も出たら
売れた方でしょうね。
私は今日大植英次指揮大阪フィルのコンサートでした。
モーツァルトの交響曲35番「ハフナー」とマーラーの5番でした。
モーツァルトは瑕疵はないんですがなんとも魅力の無い演奏で寝ることもできませんでした。やっぱり簡単なようでモーツァルトは難しいとあらためて思いました。マーラーも第一楽章は音がこもり、アンサンブルも揃わず先行きどうなることかと思いましたが、第二楽章からは持ち直し見事な演奏となりました。聴衆も満足げでした。
しかしマーラーの5番なあ。比較したらいかんのだけど昔ショルティ指揮のシカゴSOで聞いたときの記憶が残っていましてね。あの時出だしのトランペットが一階最後列にいた私にはまるでモハメド・アリのストレートパンチをくらったような衝撃でした。あれは日本人には出来んわな。
そういや山口百恵の歌に「ごめんね昔の人とまた比べている」なんて歌詞が有りましたな。比べるつもりはないんだけどなあ・・・
< 凡 様 どうもです!
>このコンサートに来る予定は無かったのですか。
ハロー!プロジェクトに所属メンバー、例えば モーニング娘。 とかの、
全体でのコンサートです。拙者は 真野ちゃんオンリー単推し ですから
ハローのコンサートは当地で一回 参戦するだけです。真野ちゃんが
一人で歌うのは2曲くらいですから。
ハロー!プロジェクトのファンで尚且つ真野ちゃんファンと云う人には
美味しいコンサートだと思います。だから、そのような人は、以後
ハロープロジェクトのコンサートに真野ちゃんが出ないとガッカリでしょう。
ただ、それだけのことだと思います。そのコンサートに掛ける稽古と
本番の時間などを、完全にソロとしての活動の時間に有効活用できるなら
卒業は大正解でしょう。
それにしても大阪で発表だったのか。
このコンサートに来る予定は無かったのですか。
総司様が庶民的な存在となりLOVEの対象となった功績に、島田順司氏の
存在は大きいでしょうね。彼の演じた沖田総司は、今で云う“草食系”でした。
町医者の娘にもまともに話せずドキマギする姿、それでいて反面は剣の
天才! そのギャップに“総司様LOVE歴女”が誕生したのでしょう。
LOVEの対象になるような歴史上の人物って、他には思い当たりませんね。
>我々も30年遅く生まれていたらもう少し違った人生を歩んでいたんでしょうか?
ん〜〜ん、、、可愛い歴女のコと“史跡めぐりDATE”していたかも。
真野ちゃんも「お城が好き」って云ってましたし。
30年前、「史跡めぐり趣味」なんて、人に言えない“ネクラ”な趣味でしたからね。
変わるもんです。 そうそう、ネクラって、最近は言わないですね。死語なのかな?
趣味だって、ネクラな趣味って何って思いますから。釣りのような以前は
オッサンの趣味だったのでも、釣り女とか居るご時世ですからねぇ〜。
女性は元気ですなぁ。
昔も新撰組だけは歴女がいましたね。目撃したことはありませんでしたが。隊士所縁の所にノートが置いてあって、総司様LOVEみたいな文言を綴っていました。
我々も30年遅く生まれていたらもう少し違った人生を歩んでいたんでしょうか?
んなわけないよな〜(笑)
>今若は後に阿野全成を名乗りますが、その子孫に南北朝の阿野康子が
>さらに幕末、錦の御旗をデザインした玉松操もその末流です
それは知りませんでした。その話で面白いのは、阿野廉子が後醍醐天皇
の陰で南朝を支えた人物に繋がる点です。そして幕末の錦の御旗。
何となく維新後の南朝正統論にも影響を与えたそうな匂いがする話ですね。
歴史という長い時間の流れの中でも、底辺に義朝と常盤のDNAが絡み付いていたのなら、
二人の源氏の世を、という願いは失われることなく何百年後かに開花し
た訳ですね。しかし、それが武士の世という形でなかったことまでは
二人も想定外だったことでしょう。
一昨日、野間大坊に参詣してきました。ブログには機会をみてUPしますが、
普段は参詣者も居ない境内が、次から次へと来てました。大河で放送された翌日ですからね。
やっぱ単なる歴史ファンというより、放送を観ての野次馬だと思います。
歴女も2人で居ました。私らが史跡めぐりを一緒にしていた30年前とは
様相が違いますね。
>益々 婦人層の視聴者を逃がすような描き方でしたよね(涙)
ここまで来たらもう視聴率なんか無視して、我々にとって面白いドラマに突き進んでいただきたいです。後年評価されるんではないでしょうか。婦人層向けだったと思われる「○姫」や昨年の「○」なんか私にはちっとも面白く無かったです。
>
< わらってかわせみ 様 どうもです!
>陵王はレプリカでしたが
同じ重文でも陵王だけレプリカが来るとは、どういうことでしょう〜。
展覧会の期間中に舞楽奉奏があったのかな。って、まさか重文の面を
普段に使っているってないですよね。陵王は別格ですかねぇ。
重文になるくらいですから、清盛時代の面でしょうかねぇ。
レプリカを展示するということで、チョイと疑問に思いました、、、
面って、何がオリジナルで何がレプリカなんでしょうね。レプリカでも
普段の舞で使っていれば、立派に“本物”になりますしね。重文の陵王面だって、
元はレプリカでしょうけどね。
__________________
< 凡 様 どうもです!
>話は変わって、甘い!甘いぞ清盛
ぬぁ〜んだ、結局は「清盛も美女に弱かった」ってことだけで歴史が
動いたンじゃないすか。新田義貞が勾当内侍を溺愛して尊氏を追討する
機会を失ったのも同類でやんす。 常盤御前も勾当内侍も、どんな美人
だったんでしょうかねぇ。まぁ、真野ちゃんを連想すれば、納得しますけどね。
しかし清盛が常盤御前と結ばれるシーン、もうちょっと丁寧に描けなかった
ものでしょうかねぇ。数年前のNHK大河「義経」の稲森いずみ氏と渡哲也氏(だったか)の清盛の時の方が、
うんと丁寧でした。今夜のシーン、あまりに性急すぎて、益々 婦人層の
視聴者を逃がすような描き方でしたよね(涙)。せっかくの清盛が主役
なんだから、後に影響を与える常盤御前を生かすシーンは不快感のない
描き方にして欲しかったです(汗)。 いきなり押し倒すのは、、、
武井の常盤御前も マグロ でした(苦笑)。
今回は見失いましたが利休の師匠である武野紹鴎や今井宗久の屋敷跡や
北向道陳の墓といった茶道関係の史跡がいっぱい有ります。時間があればゆっくりご案内したいものです。
話は変わって、甘い!甘いぞ清盛。
あの甘さが平家の滅亡に繋がるのに・・・
結局義朝の息子で殺されたのは悪源太義平だけ。あとは流罪が3人。
常盤の子供は3人とも寺に入れられただけ。
あーあの時全員切っていれば今の私も違った人生だったかもしれんのに。
お主ならどうする?
え、常盤御前が真野ちゃんならあっさり許していたって。
そーなるだろうな。男は美女に弱いのう。
なれ寿司が近江という地域集中で残っているのは、やはり琵琶湖・気候
など種々の要素が適していたからでしょうね。 ふなずし は新潟県の
長岡方面の一部で似たような なれずし が有るようですが、詳細が不明
です。地元民だけで細々と伝承されているだけでしょう。
和歌山県新宮市の 秋刀魚のなれ寿司、30年物 は25年位前にチャレンジ
しましたが、食べられませんでした。今なら大丈夫かもしれませんので
またチャレンジしてみたいです。ワインじゃないし、30年も醗酵させて
いたらドロドロですよ。
↓のURL、面白いですよ。
http://japan-web-magazine.com/japanese/japanese-food/narezushi-japanese.html
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< わらってかわせみ 様 どうもです!
>国宝平家納経やら西行自筆の軸やら舞楽面が
舞楽面は、どこに収蔵されていた面でしょう?やっぱ厳島神社ですか?
平家納経も厳島ですよね? 清盛物をやるとなると、厳島の引越し展示
のようになる気がしますが、メインとなる収蔵所は違う場所でしたか?
舞楽面、当時のものなら貴重ですね。900年も前の面、今のと違う箇所は
お気づきになりましたか?蘭陵王ですか?
>奥様と祇園祭宵々宮と併せて浴衣で参戦はいかかがですか?
ありがとうございます。 でも祇園祭、写欲ゼロです(笑)。観光だけでも
人ごみを想像すると避けたくなりますのぉ〜。
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