西ドイツで電気機関車を撮影後、夜行列車で東ドイツ(ドイツ民主共和国)へ入国した。当時は社会主義体制下だった東ドイツへは、予約したホテルの証明書が無ければビザが発給されなかった。で適当にライプツィッヒとドレスデンを宿泊地に決めた。なぜかというと、ライプツィッヒはゲバントハウス管弦楽団で、ドレスデンはシュターツカペレという管弦楽団で来日演奏を聴いたことがあったから、未知の社会主義国内にあっても若干の馴染みのある地名だったからだ。
夜行で自由経済圏の西ドイツから社会主義経済の東ドイツへ入った途端、町の灯りが少なく人通りも少なくなった車窓に驚いたものである。 東ドイツへ入国したから何処で蒸気機関車が撮影できるというアテは無かった。ライプツィッヒとドレスデンの間を列車で移動しながら探し出したのが、このページにUPしたナロー路線である。 |
上写真5枚、ラーデボイルからのナロー。(1977年8月2〜4日 撮影) |
上写真2枚、オシャッツからのナロー。(1977年8月5日 撮影) |
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Last Updated 2014-04-24