1977年、大学二年生の時にドイツ語圏へ鉄道撮影に訪れた。7月27日に羽田空港からアエロフロート機で、モスクワ経由で西ドイツのフランクフルトに着いた。 東西分離時代の社会主義国であった東ドイツ(ドイツ民主共和国)へ入国して1週間滞在。夜行列車でミュンヒェンに脱出。ミュンヒェン周辺での撮影後、オーストリアに入った。 オーストリア滞在は8月10日から21日であった。東ドイツでの撮影同様、持参フィルムが少なく、一枚一枚を数えながらの撮影であったから、見返してみると撮影したコマは僅かであったし、たいした写真が撮れていないのが残念だ。 オーストリアでは標準軌道の路線から蒸気機関車は退いていたが、ナロー路線では現役で活躍している路線があった。 撮影機材はカラーはポジでなくコダックのネガ使用で、カメラはPENTAX KX。白黒はトライXやネオパンで、カメラはゼンザブロニカS2である。(UPに関しては一部のコマで白黒へ変換してある) |
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上;車窓の少女たち。こちらを見ていた少女たちにカメラを向けたら、満面の笑みで応えてくれた。 |
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Last Updated 2014-09-08