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No.K-1-1 作曲家 リヒャルト・ワーグナー (ライプツィヒ、ドレスデン)2014年
Nr.K-1-1 Der Komponist Richard Wagner ( Leipzig und Dresden) im Jahre 2014

■ 2014年5月3、5日撮影

リヒャルト・ワーグナーの生涯を区切って分類する整理法は、多々有ろう。私的に(乱暴だが)3つに分類するなら、 まず出生からドレスデン革命までの期間。2番目に、ドレスデンから亡命してルートヴィヒ2世に出会うまでの期間。そしてルートヴィヒ2世との出会い以降、死までと分ける。
その最初の段階から生まれた“自身が後に認めた曲”としては、【さまよえるオランダ人】【タンホイザー】があり、 生活の礎を築けた曲として【リエンツィ】、それ以前の習作的【妖精】や【恋愛禁制】も有る。 【ローエングリン】はワーグナーがドレスデンから亡命で離れる1849年までの間に初演されることは無かったが、母体の地はドレスデンであり、この最初の段階に加えても良いであろう。
その最初の段階である 1813年の誕生地から1849年の間に最も所縁の地である、ライプツィヒ と ドレスデンに Wagner の足跡を訪ねることにした。
とは申せ、Wagner ほど1カ所に長期間定住せず、旅から旅の生活をしていた人は、そう居なかったであろう。
最初の段階の主だった地である ライプツィヒ と ドレスデンであるが、ライプツィヒ で生まれてからドレスデン革命までの35年間にWagnerが訪れた地名をあげるなら、5カ所以上になるであろう。
ライプツィヒ で生まれたものの、父の死と母の再婚で1814〜1827年はドレスデンで過ごす。1833年まではライプツィヒで学ぶべく帰郷。1833〜1836年は合唱団の指揮者としてヴュルツブルク、1836〜1837年は劇場指揮者としてケーニッヒスベルク、1837〜1839年はロシア領リガ、1839〜1842年はロンドンを経てパリ。1842年9月から1849年5月までがドレスデンである。これほどの土地を移動しているにも関わらず、やはりその中で最重要地はライプツィヒとドレスデンである。
ドレスデンの地では一定期間だが宮廷楽長として安定したポストの元、【リエンツィ】【さまよえるオランダ人】に【タンホイザー】が初演された由緒ある処である。そして前記したように【ローエングリン】もこのドレスデンで完成しているし、【ニュルンベルクのマイスタージンガー】も1845年には草稿ができていた。後の舞台祝祭劇【ニーベルンクの指輪】のうちの『神々の黄昏』の元となった『ジークフリートの死』の草稿も1848年に出来ていた。このように考えると、ドレスデンは大きな母胎の地であると云えよう。曲や構想を生み出したというだけでなく、自分の劇場を持たなければ自分の音楽が満足に表現できない、という後のバイロイトに繋がる“夢”もドレスデンでの生活から生まれたのであろう。歴史には“もしも”は無いとしても、もしドレスデン革命が起こらずWagnerがドレスデンに定住し続けていたら、後のバイロイトは無かったであろう。ドレスデン革命の歴史的意義は分からないが、すくなくともクラシック音楽的には意義ある革命勃発だったことが面白い。

上;ドレスデンゆかりの3曲。1983(昭和58)年に購入したLPのジャケット写真。


■ Leipzig (ライプツィヒ)

上左右;Richard-Wagner-Platz 脇のデパート側壁にある、ワーグナー生誕地を示すプレート。
プレートは、チャリンコお嬢様の頭の背後に写っている。それと跡地に建つビルの全景。
「AN DIESER STELLE STAND BIS ZUM JAHRE 1886 DAS GEBURTSHAUS VON RICHARD WAGNER」
(この場所に1886年までリヒャルト・ワーグナーの生家が建っていた)

上;1813年8月16日に洗礼を受けた Thomaskirche (トーマス教会)

上;学びに通ったニコライ学校 (Alte Nikolaischule)。 Nikolaikirchehofに面している。


■ Dresden , Graupa (ドレスデン、グラウパ)

上左右;Dresden市内、Ostra Allee の住居跡。黒い車の駐車した横のビルに、記念プレートが有る。
銘板抜粋・・・(VON OKTOBER 1843 BIS APRIL 1847 WOHNTE)1843年10月から1847年4月まで住んだ家の跡。

上2枚;Dresden市内、Friedrich Stadtの住居跡。
銘板抜粋・・・(HIER WOHNTE 1847-1849)1847年から1849年までの期間に住んだ家の跡。

上左右;Graupaの町中のワーグナー胸像。 (所在地住所;Richard-Wagner-Strasse 6, 01796 Prima OT Graupa)
ドレスデンの宮廷楽長時代の夏期休暇に、Wagnerはこのグラウパの地に滞在している。1846年7月には、この地に滞在中に【ローエングリン】の作曲スケッチを終了している。作曲や住んだ住居では、このグラウパの建物が現存最古だと云う。
ワーグナー関連は、2軒の建物に分かれている。Jagdschloss(狩猟の館)という館と、LOHENGRINHAUS(ローエングリンの家)である。ローエングリンが作曲された家は後者だが、入場券は前者の場所で買わなくてはならない。共通券なので両方拝観できるが、Jagdschlossの方は展示館となっている。入場料は7EURであったが、カメラなどで撮影する場合は、2EURを払えば撮影可である。
Jagdschloss(狩猟の館)とLOHENGRINHAUSは約150m離れており、その途中に胸像がある。

上2枚;Richard Wagner Staetten Graupa の、Jagdschloss(狩猟の館)。内部はワーグナー展示館になっている。コピーのデスマスクもある。

上写真3枚;LOHENGRIN HAUS 館外と館内。2階にリビングとベットルームがある。一階はコンサートが開催できるスペースになっているが、当時はどのようであったろうか。

上2枚;SEMPEROPER
ゼンパー・オーパー(ゼヒジィッシャーシュターツオーパー;ザクセン州立歌劇場) の夜撮写真。 上写真では右端が、その建物。 ドレスデン、ライプツィッヒの リヒャルト・ワーグナーの足跡 を写すにあたって、 ぜひ ゼンパー・オーパー は撮影しておきたかった。しかも夜撮で。
作曲家の作品に光をあてる場所が逆に、光が当てられて作品になるからだ。
リヒャルト・ワーグナーの音楽的聖地がバイロイトなら、バイロイトに辿り着く前の足跡として 定住した土地で活躍した歌劇場としては、ドレスデンが一番最初にして最後の地であった。
ワーグナーの(グランド)オペラである【リエンツィ】が1842年10月20日に初演されると、 その成功でワーグナーは一挙に宮廷歌劇場の楽長に任命されるという抜擢を受けた。 以来、このゼンパー・オーパーにおいて 1843年1月2日に【さまよえるオランダ人】、 1845年10月19日に【タンホイザー】が初演されることとなる。
しかしロマンティッシェオーパーという当時としては(難解?)だった世界に踏み込んだせいか、 「オランダ人」も「タンホイザー」も「リエンツィ」ほどには歓迎される曲ではなかったようである。
一言で云うなら、時代と共に歩むのではなく、ワーグナーの表現が聴衆の理解を超えた先に進んで しまったと云えよう。宮廷の官僚主義的体質から音楽制度を変えなくては自身の音楽が理解されない、という限界と行き詰まりを感じたのであろう。思想家的側面も持つワーグナーは、自分の音楽を表現するためには劇場だけでなく、それを取り巻く政治社会を変えなくてはならないと思い込むことで、1849年5月のドレスデン革命に関わっていくこととなる。その反社会体制派・革命家と目された行動で、ワーグナーは“お尋ね者”となって逃亡生活に入ることとなる。ドレスデン宮廷楽長の地位も失職したのだが、あまりその地位に執着が元々なかったようである。 ただしそれでも1848年の、ドレスデン宮廷歌劇場創立300周年を祝う言葉では 「ドレスデンのムジカーリッシュ・カペレは祖国ドイツの最も貴重で完璧な演奏団体として称えなければならない」 と賛辞を送っている。その最高レベルの演奏を提供できるということとは、官僚主義とは別物としてワーグナーが演奏家集団に信頼を置いていた証の言葉だろう。 リヒャルト・ワーグナーが活躍した歌劇場の建物は、ゴットフリート・ゼンパーの設計による1841年に落成して1869年に焼失した建物である。
その後、マンフレート・ゼンパーが設計した歌劇場が1878年に再建されたが、1945年の連合軍の爆撃で崩壊した。現在の歌劇場は、大戦で破壊された姿を1985年に復元・再建された建物である。 1977年に私が訪れた時には、まだ再建されておらず瓦礫の山だったわけである。
現代に翻った歌劇場は、威風堂々という表現がピッタリくる威厳ある姿でネヴァ河河畔に佇んでいる。


■(番外) Cafe Wagner (Leipzig)

ライプツィヒのRichard Wagner Platz(リヒャルト・ワーグナー広場) に面して、ワーグナー一色のカフェがある。店長ママさんの感じも良く親切で、近場なら常連になりたいカフェだ。ワーグナー生誕地を眺めながら、ワーグナー一色の店内に身を置く居心地の良さ。たまらんっ! 今回はコーヒーだけだったが、次回は食事もしてみたい。なお、店内にはライプツィヒ歌劇場での【ローエングリン】のオルトルートに用いられた舞台衣装が飾ってある。

《主だった参考文献》
『ワーグナー』マルセル・シュネデール著、海老沢&笹淵 訳、(白水社)
『ワーグナー』音楽の手帖、(青土社)
『リヒャルト・ワーグナー』ハンス・マイヤー著、天野 訳、(芸術現代社)
『ワーグナー紀行』塩山千仞著、(春秋社)
『ワーグナーへの旅』木之下晃、堀内修 著、(新潮社)


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