No.K-1-4 作曲家 リヒャルト・ワーグナー チューリッヒ 2015年
Nr.K-1-4 Der Komponist Richard Wagner Zürich , Photo im Jahre 2015 |
■2015年5月2日撮影、 スイス、チューリッヒ
作曲家リヒャルト・ワーグナーがスイスのチューリッヒに滞在したのは1849年5月から1858年8月までの9年間である。 ワーグナーとチューリッヒというと、まず マチルデとの危ない恋に歌曲「ヴェーゼンドンクの5つの詩による歌曲」、そして「トリスタンとイゾルデ」が思い浮かぶ。しかしチューリッヒ滞在の9年弱の間の内、マチルデとの隣地で過ごした期間は1年と少しでしかない。それだけではなく「ラインの黄金」「ヴァルキューレ」の総譜が完成したり『指環』の作曲が進んだ重要な土地だったのだ。 時系列で私的にチューリッヒでの期間をまとめてみたい。 1849年5月28日、スイス入国(亡命)。 1849年9月17日、(裏)エッシャーハウス入居。 1849年のドレスデン革命に加担したことから“お尋ね者”となって指名手配から逃れるようにケムニッツ、ヴァイマールへ移動する。そして国境を越えてスイスに入国したのは1849年5月28日のことであった。チューリッヒに一端は赴いたものの、パリ凱旋を夢見て6月2日に赴いた。が、やはり夢と破れて借金だけ残して7月6日にチューリッヒに戻った。放浪者のように各所を転々としながらも、チューリッヒでの定住の場所を見つけて住み始めたのは1849年9月17日のことである。場所はZeltweg の Escher-Haus という3階建てのマンションである。エッシャーハウスでも通りの裏側の方で、仮に(裏)エッシャーハウスと呼ぶ。妻のミンナもドレスデンからやって来た。 1850年2月1日、またパリへ赴くが、成果なし。復路、ボルドーで22歳のジェシー・ロッソ―夫人と不倫に陥るが夫にバレ、射殺されそうになって逃げる。 1850年7月3日、湖畔の木造家屋に引っ越す。 1850年8月28日、ヴァイマールでフランツ・リストが『ローエングリン』を初演してくれた。 1850年9月16日、(表)エッシャーハウスに引っ越す。このエッシャーハウスでも広い3階の部屋には1853〜1857年の4年間住んだ。 1851年〜1852年、チューリッヒでの予約演奏会を開催。 1852年2月、上記の演奏会でワーグナーの芸術に取り憑かれた23歳の人妻Mathilde Wesendonck (マチルデ・ヴェーゼンドンク;1828〜1902)と知り合う。 マチルデは2歳の娘ミュラと「ホテル ボール・オ・ラック」のスイートルームに滞在していた。 1852年、『ニーベルンクの指環』の台本が完成。 1853年2月16〜19日、「ホテル ボー・オ・ラック」で『指環』の朗読会開催。そして台本を自費出版した。『指環』の作曲を開始。 1854年、『ラインの黄金』の総譜が完成。 1856年3月23日、『ヴァルキューレ』の総譜完成。『ジークフリート』の作曲に取り掛かった頃、向かいの家にブリキ職人が引っ越してきて、絶えずハンマーの音に悩まされた。しかしその音がノートゥングを打つインスピレーションとなった。 1857年4月28日、オットー・ヴェーゼンドンク氏から「緑ヶ丘」の“アジール(Asyle ;隠れ家)”を借り、引っ越し。 1857年8月、アジールの横にヴェーゼンドンク邸が新築され、ヴェーゼンドンク夫妻が入居した。 1857年9月18日、『トリスタンとイゾルデ』の台本が完成し、マチルデに見せる。マチルデはワーグナーを感動で抱擁した。二人の愛がはっきりとしたものになった。3日後、作曲に取り掛かった。 1857年12月23日、マチルデの誕生日に歌曲集『Wesendonck ? Lieder (ヴェーゼンドンクの5つの詩)』を作曲してプレゼント。5つの詩のうち「夢」はオーケストラ伴奏用に編曲。 1857年、アジールで家庭演奏会。ミンナ、マチルデそしてコジマも参加。 1858年4月7日、ミンナがワーグナーのマチルデ宛ての手紙を見つける。マチルデは夫のオットーに全てを告白。オットー・ヴェーゼンドンクは妻マチルデを伴ってイタリア旅行へ出発。 1858年7月21日、コジマとハンス・フォン・ビューローの新婚夫婦が“アジール”に来訪。この時点でコジマとワーグナーはお互い通じるものを感じたらしい。 1858年8月17日、マチルデとの不倫を疑われて“アジール”に留まれなくなったワーグナーは、ヴェネチアへ出発。ミンナはドイツへ出発した。ヴェネチアには8か月間滞在し、スイスに戻ってきた。ただしチューリッヒではなく、ルツェルンに滞在した。チューリッヒに戻りたくとも、さすがにオットーの手前、滞在できなかったようだ。 |
上左;温めていた曲の構想がマチルデと出会うことで結実していった。チューリッヒで台本が完成した『トリスタンとイゾルデ』。ワーグナーの顔の輪郭模型の背後は、1980年頃に購入したカール・べーム指揮のLP5枚組Box 。
上右;チューリッヒでのワーグナー探訪にはトラム(路面電車)で移動した。トラムの路線図とTageskarte (一日乗車券)。美術館などに入ったりしなければ、一日乗車券の方がチューリッヒ・カードより半分くらい安い。トラムを巧く利用することで、効率よく移動できる。 |
上2枚;マチルデが定宿とし、ワーグナーが『ニーベルンクの指環』の朗読会を行った、「Hotel Baur Au Lac (ボール・オ・ラック)」。 General-Guisan-Quai (通り)を挟んでチューリッヒ湖が眺められる。チューリッヒの超高級ホテルである。 |
上;Zeltweg の Escher-Haus。 壁面にプレートで「1853年から1857年、ここにリヒャルト・ワーグナー住まう」と出ている。目の前の通りをトロリー・バスが通っている。 |
上写真;ヴィラ・ヴェーゼンドンク。マチルデが「ようこそ。」と顔を出してくれそうな錯覚に陥る。
現在は「ムゼウム・リートベルク・チューリッヒ」という博物館になっている。 |
|
上写真;ワーグナーが住んでいた“アジール”。現在はヴィラ・シェーンベルクという建物で、ヴィラ・ヴェーゼンドンクの背後に位置している。RICHARD BURTON 主演の1982〜1983年制作の映画【WAGNER】ではヴィラ・ヴェーゼンドンクの斜め正面に位置したようなセッティングであった。この建物の位置関係は理想的だが、実際は違った。
玄関の女性は ミンナかマチルデの幻か。。。 |
上左写真;マチルデ・ヴェーゼンドンクの胸像。トリープシェンに有る胸像だが、ここでUPしてみた。1860年L・カイゼル(チューリッヒ)作だから、ワーグナーと破局2年後で32歳の姿だ。聡明で美くしい姿が伝わってくる。
上右写真;“アジール”の前庭のワーグナー胸像。 |
上写真;ヴィラ・ヴェーゼンドンク邸の庭からチューリッヒ湖を眺める。 |
ヴィラ・ヴェーゼンドンクへは中央駅からは7番のトラムに乗り、Museum-Rietberg で降りる。降りたら山側の方に表示板を見つけて7〜8分坂道を歩いて行く。やがて丘の上に白いルネッサンス風のヴィラ・ヴェーゼンドンクが見えてきて感動的だ。清水の流れる木立の間を登って行く、文字通り「緑ヶ丘」だ。ホテル・ボー・オ・ラック住まいだったオトーとマチルデ夫婦はこの地を気に入り、某病院がその地に建築予定と聞いてより高く買い取って、ワーグナーを既存の建物に住まわせた。それが“アジール”と呼ばれる建物であった。1857年8月、ワーグナーがアジールに入居の約4か月後、新居が完成したためヴェーゼンドンク夫妻が隣接した新居に入った。 |
■ チューリッヒ歌劇場 Opernhaus Zürich
チューリッヒ歌劇場の前身はワーグナーが活躍していた、アクツィエン劇場。火災で焼失後の1891年、現在の場所に市立劇場(Stadttheater)が建てられた。1960年代に名前をチューリッヒ歌劇場と改めて、現在に至る。フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュやアーノンクールも指揮したスイスの名門である。バイロイト以外で【パルジファル】を初めて演奏したことでも知られている。 今回、チューリッヒ滞在中に Ludwig Van Beethoven の OPER FIDELIO (ベートーヴェン作曲;歌劇【フィデリオ】)の演奏が有ったので、日本でチケットを Get して出かけた。 ヨーロッパでオペラ鑑賞は、新婚旅行の時にミュンヒェンのバイエルン国立歌劇場でR・シュトラウスの【ザロメ】を聴いて以来である。 演奏は1幕2幕を休憩なしの2時間ぶっ通しで演奏されたが、歯切れとテンポのノリが良い演奏で素晴らしかった。ただし舞台装置は舞台の中にもう一つのステージを作って、その背後の壁が倒れたり起きたりで地下を表現したりするから、想像力を逞しくしないと分からない抽象的表現だった。小道具も無し。背後の壁はスクリーンの役目もして、心理描写に文字を投影したりする。囚人も背広姿だったりして、ぶっとび演出は金が掛かっていない。ただし指揮者はじめソリストは素晴らしかった。印象に残る素晴らしい演奏だった。帰国後に調べたら、ポッシュナーはドイツ人でベートーヴェンの演奏に定評のある新進気鋭の指揮者であった。音響も良いホールで、さすが現地、ドイツ語が聴き取り易かった。 |
上写真;ロビーと客席は 開演前にコンパクトデジカメで。(演奏中、カーテンコールも撮影せず)
写真一番下は、ネットで予約してプリントしたチケットと現地購入のパンフレット。 【 Ludwig Van Beethoven ; OPER FIDELIO 】 Musikalische Leitung; Markus Poschner Der Minister; Oliver Widmer Don Pizarro; Martin Gantner Florestan; Brandon javanovich Leonore; Anja Kampe Rocco; Christof Fischesser Marzelline; Deanna Breiwick Jaquino; Michael Laurenz Erster Gefangener;Airam Hernandez Zweiter Gefangener;Alexei Botnarciuc
Philparmonia Zürich Chor der Oper Zürich |
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Last Updated 2015-06-04