No. K-1-9 作曲家リヒャルト・ワーグナー オペラ【妖精】ヴュルツブルク 2015年撮影
Nr.K-1-9 Der Komponist Richard Wagner Oper Die Feen in Würzburg , Photo Photo im Jahre 2015 |
■ ドイツ バイエルン州 ヴュルツブルク 、 2015年9月撮影
リヒャルト・ワーグナーはフリードリッヒそして養父(実父?)ガイヤーと、2人の父を子供の頃に亡くしている。その後を支えた2人を挙げるなら、養父ガイヤー亡き後に家族を支えた10歳年上の姉ロザーリエ、そしてライプツィヒ聖トーマス教会のカントル(合唱指揮者)のヴァインリヒである。ヴァインリヒの元で学習した時、彼はリヒャルトの才能を見抜いたようである。リヒャルトは1832年、19歳の時にオペラ【婚礼】を書き始めて姉ロザーリエに見せた。しかし彼女の否定にあって、作曲を止めてしまった。翌1833年1月、兄アルベルトが歌手および演出家として活躍していたヴュルツブルクを訪れた。この町のヴュルツブルク市立歌劇場の合唱指揮者に就任するのだが、若干20歳で就任できたのは聖トーマス教会で学んだ賜物であろう。この町で彼は1834年10月にマルデブルク歌劇団の音楽監督に就任するまでの21か月の間にオペラ【妖精】を処女作として完成させた。この曲は敬愛する姉ロザーリエも気に入って初演のために手を尽くしてくれた。しかしリヒャルトの移動とロザーリエの死去によって初演は立ち切れとなった。実際に初演されたのは、リヒャルトの死後5年も経った1888年、ミュンヒェンにおいてであった。 今回、ヴュルツブルクに、リヒャルトが住んだり過ごした家を訪れてきた。 |
ガボール・エトヴェシュ指揮、歌手陣&カリアリ劇場管弦楽団&合唱団の CD である。 |
上写真3枚;壁のプレートには下記が記されていた。 Richard Wagner HIER WOHNTE 1833 UND SCHUF SEINE ERSTLIGSWERK [Die Feen] (訳;リヒャルト・ワーグナーが1833年にここに住んで、彼の処女作「妖精」を書いた。) |
上写真2枚;壁のプレートには下記が記されていた。 Richard Wagner In diesem Hause verlebte im Jahre 1833 manch frohe Stunde im Kreise gleich gestimmter Seelen. (訳;1833年、この家でリヒャルト・ワーグナーは気の合う仲間と愉快な時を過ごした) この家、当時はビアホールだったようだ。ワーグナーは酒を飲みながら愉快に過ごしたのだろう。 |
■ ヴュルツブルクの街
美しく静かで上品な街、ヴュルツブルク。リヒャルトも歩いたであろう街並みである。 |
上;ノイミュンスター教会 |
上;ザンクト・キリアン大聖堂 |
上;マリーンベルク(マリーエンベルク)要塞 |
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Last Updated 2015-10-07