No.K-1-19 作曲家リヒャルト・ワーグナー(アイスレーベン) 2018年
Nr.K-1-19 Richard Wagner Eisleben , Photo im Jahre 2018 |
■ 2018年08月10日 撮影
ザクセン=アンハルト州 (Land Sachsen-Anhalt) ルターシュタット・アイスレーベン (Lutherstadt Eisleben) |
上写真;矢印が、ワーグナーが滞在していた家。Markt Platz にて。 下写真;壁面の銘板。 |
リヒャルト・ワーグナーは1813年5月22日、ライプツィヒにおいて、父カール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ワーグナー と 母ヨハンナ・ロジーネとの第9番目の子供として生まれた。 しかし父は同年11月23日にチフスに罹って急死してしまう。 三か月後の2月、母は父の親友だったルートヴィヒ・ガイヤーと婚約し、8月22日に結婚する。 ガイヤーは俳優として活躍もしていて、ワーグナーが4歳(1817)年の頃にはヴェーバーとも親交を持っていた。ガイヤーはワーグナーを特に可愛がっていたようで、演劇や音楽にと劇場へ連れて行ったようである。 しかしワーグナー8歳の1821年9月30日、ガイヤーが肺水腫で亡くなってしまう。 そこでワーグナーはガイヤーの叔父である金細工師のカール・ガイヤーの住む、アイスレーベンに預けられた。 アイスレーベンで住んだのは1年間で、1822年ワーグナー9歳の時にライプツィヒに住む叔父のアドルフ・ワーグナーの元に預けられた。アイスレーベンに住んだのが1年間という短期ながら、この時にアイスレーベンの軽騎兵連隊吹奏楽団の演奏する ヴェーバー作曲【魔弾の射手】の音楽に出会って魅了されるという、強烈な後まで引きずる音楽体験をした運命的な町であったのだ。
ワーグナーが滞在していた家には記念の銘板が付いているが、写真は1870年頃の物が貼られていた。 |
上写真;真ん中の建物が、ワーグナーが住んだ家。現在、メガネ屋さんだ。 尚、アイスレーベンはマーティン・ルターの生まれ没した町なので、現在はルターシュタット・アイスレーベンと名乗っている。 |
■ 2018年8月10日
ライプツィヒ トーマス教会 Leipzig THOMAS KIRCHE ヴァイマール・バッハ・カンタータ・アカデミー 教会カンタータ 演奏会 |
Freitag, 10. August 2018 | 19:30 Uhr Thomaskirche Abschlusskonzert der Weimarer Bachkantaten-Akademie Johann Sebastian Bach: Kantaten „Herr, gehe nicht ins Gericht mit deinem Knecht" BWV 105, „Du Hirte Israel, höre" BWV 104, „Wir müssen durch viel Trübsal" BWV 146 Julia Sophie Wagner (Sopran) Lidia Vinyes Curtis (Alt) Martin Lattke (Tenor) Tobias Berndt (Bass) Ensembles der Weimarer Bachkantaten-Akademie Leitung: Helmuth Rilling
演奏された カンタータ(※)は、次の通り。 |
上写真;ポスターとチケット および教会内。 |
上写真;教会横のJ.S.バッハ像。 ワーグナーに関して言えば、生後の1883年8月16日に洗礼を受けたのは、この教会であった。 1831年、18歳の時に音楽理論を教えてくれたのが、トーマス教会のテーオドル・ヴァインリヒであった。ワーグナーは彼を師として仰ぎ、目覚ましい進歩をしたという。 |
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Last Updated 2018-11-27