日本!(花祭)
No.9 今田『花の舞』
撮影場所&日;静岡県浜松市佐久間町、平成18(2006)年11月11,12日
撮影機材;Nikon D80+SIGMA18-50mmF2.8、 D70s+SIGMA10-20mmF4−5.6
現地情報;駐車場無、食堂売店無

今田『花の舞』を訪れてみたくなった。場所は西浦田楽の観音堂にかなり近い所である。北へ山を越えると霜月祭りの南信濃村、西へ山を越えれば御神楽の旧富山村や坂部である。奥三河の花祭に近いというより、直線距離ではそれらの場所にも近い。ただ、花祭の東栄町からのアクセスは蛇行する道路でけっこう遠く感じるが、それは現代の道路を辿るせいだろう。今田に花祭を伝えた御師は、山伏が開いたルートや山の民の路を辿ったであろうから、現在の道路状況で判断するわけにはいかない。
今田には佐久間町山室から寛政11(1799)年に伝えられた花祭が元になっているそうだが、その後に花祭文化圏と交流が無かったせいで、古い花祭の形が残っているそうだ。その点が一番、今田に私が魅かれた点だ。例えば「おにめん」において鬼は花祭の榊鬼のような問答があるのに、榊鬼が踏む反閇(へんばい)を踏まない。このことを井上氏は、伝播の時点で榊鬼の反閇が今日のように突出したものとして確立されていれば、それが退転するとは考え難い、とされている。また、反閇成立以前には今田の「おにめん」もする所作の〈切る〉が、鬼の中心的破邪の所作であろうともされている。面形舞以外の「地固め」など儀式舞や青少年の舞においても、舞処を細分化した複雑な花祭の舞に比べて、やや未分化な感じがしたが、これは私の主観である。
もうひとつ『今田の花の舞』が古風を残している点は、湯立を《探湯(くがたち)》と呼んでいることである。探湯は、誓湯(うけいゆ)とも云われ、或る事の真偽を判定するために神に誓いを立てて熱湯に手を入れるト占(ぼくせん)の一種である。これは神道における占いで、事の真偽や吉凶が分からないときに神に祈って、その教えを請う方法で「神道の宗源」であるとも云われる。お神楽の湯立は、神を降ろし湯を献じて神威亢進を願う儀式であるが、その湯立も南信濃村の霜月祭りでは素手で熱湯の湯切りを行なう。まさに神道ト占いの探湯の方法のニュアンスを含んだ方法で、神に清廉潔白である証を立てて舞うということであろう。

※UP後に、湯立を「探湯」と呼んだのは神道の影響で後のことでは、とのご指摘を頂きました。あるいは東栄町の一部の集落で「神道花」に変換した明治頃に、ここでも神道的な呼称を導入したのかもしれません。

《参考文献》
井上隆弘【霜月神楽の祝祭学】岩田書院
ブックスエソテリカ2【神道の本】学研

■花ノ舞(下4枚)

■扇の手(下左)、みかぐら(下右)

■探湯(下5枚)

■ねぎ(下左)、おにめん(下右)


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Last Updated  2010-01-01