日本の至高神・皇祖神として祀られる天照大御神の皇大神宮・伊勢神宮へ撮影に行く度、神宮や全国の神社神殿の帳の中に鎮座される御神体としてでなく、天照大御神が民衆の間でいかに具体的姿として伝承されてきたか、興味を持った。 秋になると各地で、神々と民衆が一体となるお神楽奉納が行なわれる。 お神楽には宮中・神宮の神事などで雅楽と共に奏される『御神楽』と民衆の『里神楽』がある。 天照大御神が登場する『里神楽』撮影の第一弾は、《長畝日向神楽》である。
九州高千穂郷は“天孫降臨”の地との謂われから、それを題材に平安時代末期には成立していた《高千穂夜神楽》など多数ある。その日向の地、延岡藩では第16代藩主有馬康済の頃(1670年)から神楽舞人をお抱えとして有していた。が、越後糸魚川を経て元禄8(1695)年に丸岡藩に移封になった。丸岡での初代藩主となった有馬清純は日向神楽の舞人を同行しており、丸岡の地でも日向神楽を庇護した。
長畝日向神楽には24番(天磐門開神代神楽・日向国古伝神楽之番付)のうち、継承されているのは17番ある。
撮影場所&日;福井県坂井市丸岡町・長畝八幡神社、平成16(2004)年9月18日(土) |
【真ノ舞】(天照大御神)
【戸取り】(天手力男命)
【戸取り】( 〃 )
【散米】 舞台清めの舞い。各舞いの基本となる舞い。稚児と青年の二段の舞いであった。 |
【柴引】「太玉乃命(布刀玉命)舞」といい、布刀玉命が香具山で根から掘り起こした真榊(柴)を、天の岩戸の前に植え、そこに鏡を掛ける。面は能面でいうなら怨霊面に近いものが用いられていた。 |
【剣】「魔払」の舞い。榊・剣を使って悪鬼・怨霊除霊の祓いの舞い。
左【初代手力雄】天照大御神の隠れた岩戸の前で、賑やかに騒ぐ。面は能面だと鬼神系の“べしみ”に近い。 右【戸取り】「戸隠大神舞」。少し開いた岩戸の中をうかがい、岩戸の扉をこじ開ける舞い。 面は鬼神面と尉面をミックスしたような面。天手力男命とも太玉乃命とも面が異なりながら装束は【柴引】と同じ。 天手力男命と太玉乃命が合体したような姿か。。。 |
【二代手力雄】天照大御神を岩戸から連れ出す舞い。天手力雄命が天照大御神の手を握り、神庭(拝殿)をスクワット運動しながら一周する体力が要りそうな舞いであった。 天照大御神が両手に持つ赤白の円盤は、日月、陰陽など森羅万象宇宙を表すと思う。 |
【真ノ舞】「天照大御神舞」 天照大御神が岩戸から出てきて初めて舞う舞い。 面は能面の“増髪”に類似していた。能では気高く神性を増す表情とされ、能【絵 馬】の後シテでちょうど天照大御神に用いられる。 |
文章には『長畝日向神楽保存会』発行パンフレットを参考にさせて頂きました。 撮影年月日;2004(平成16)年9月18日(土曜日) |
■ 長畝日向神楽、二日目
撮影年月日;平成19(2007)年9月16日 3年前と2年前に土曜日の神楽を二回拝見させて頂いているが、二日目は始めてであった。土曜日は日没後に天照大御神が岩屋に篭って暗闇になるので、夜の神楽となる。二日目は日中に、天照大御神が岩屋から出られて日が戻った後の世界を舞う。 |
上左右 【置位(初段)】二段構成で、初段は始めての子供がお披露目を上手に舞った。 |
上左右 【置位(後段)】置位は、「於喜恵」とも書く。宮崎県新富町六社連合神楽では、水の神の祭る神楽という。喜び恵みの神楽だが、祓えの曲ともいう。 |
上左右 【日ノ舞】 天照大御神と豊受大御神を表す陰陽を奉持して舞う。 |
上 【策(むち)】 戸隠明神が岩戸を押し開いた策を持って舞う。宮崎県一帯の神楽で、「かんしい」とか「岩潜り」とか呼ばれる曲のように、アクロバティックに採り物を潜って舞う。 |
上左右 【剣】 邪霊・悪魔払いの舞。 |
上左右 【綱切】 悪魔払いの曲。 宮崎県の新田神楽で「綱切」というと、真剣で二頭の大蛇(藁)を切る舞である。長畝では面舞の二人舞である。悪魔払いであるから、面の二人は聖と邪を表すのであろう。 |
上 【鬼神】 天孫降臨の時に道案内された猿田彦命の舞。激しい迫力ある舞である。 |
上写真3枚 【大蛇】 スサノオによるオロチ退治の舞。出雲流神楽の面舞の白眉であろう。 |
上 【注連(しめ)】大八州平らけく、安すらけくを祈願する舞いという。高千穂神楽の「繰り降ろし、雲下し」のように、御幣に繋がれた注連を扱いながら舞う。この曲も誠に見応えある曲である。 写真は超広角レンズで舞人にシンクロするように、ズーミング流しで撮影した。 |
《参考文献》 【神楽を描く−宮崎神楽紀行】弥勒祐徳、鉱脈社 【続・神楽を描く−みやざきの夜神楽紀行】弥勒祐徳、鉱脈社 |
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Last Updated 2009-12-29