日本!(お神楽)
No.19 向山日添神楽(椎葉神楽)
撮影場所&日;宮崎県東臼杵郡椎葉村、平成18(2006)年12月2,3日
撮影機材;Nikon D70s、D80+SIGMA18-50&10−20mm、Nikkor AF85mmF1.8D

椎葉神楽は九州の神楽でも、狩猟・焼畑農業に根ざした神楽として知ってはいた。ただ椎葉村は平家の落人を祖とする秘境として語られることが多いため、出かけるまではどのような場所か、アクセスに少々の不安があった。しかし熊本空港のレンタカー会社を出発して1時間半後には上椎葉に到着、そして更に40分後には目的の向山日添の神楽宿に着いた。熊本空港から2時間10分後にお神楽に逢えるというアクセスタイムの時間感覚は、名古屋から花祭の東栄町の東薗目へ行くのと変わらないし、道路状況も三遠南信の山間を走るのと違和感ないドライヴィングで到達できた。椎葉村の中でも目的地の向山日添は、比較的アクセスし難い場所であるから、一度その場所まで行ってしまうと椎葉村も身近に感じられるようになったのは収穫である。
その椎葉村では88郷の内、神楽面を伝えるのが32箇所、そして神楽を催行するのが26箇所である。それは下福良、大河内、不土野そして松尾の四区分される。お神楽の演目は、地区内で限定的に行なわれる曲があったり、同じ地区内でも曲の呼び名が変わっていたりと一様でない。例えば【弓通し】は不土野と下福良地区の一部における曲である。向山日添で【かんしん】と呼ぶ曲が、同じ地区内の向山日当では【かんしい】と呼んだりする。地図上では近くみえる隣集落も、実際には山と谷に隔てられていて、お神楽の伝播は複雑なのであろう。その複雑さは、各集落において演目数も曲名も舞も、そして御神屋(舞処)の設営から唱教なども異なる。であるから、椎葉神楽とひとくちに呼んでも、その内容が均一でないから一まとめで考えるのは誤りであろう。よって私が拝見して来たお神楽も、椎葉村における「向山日添神楽」として考えたい。むろん椎葉村内のお神楽には、集落内の共通項も多いはずだが、それは何箇所か拝見して初めて分かってくることであろう。
向山日添神楽の、特徴的な舞の写真をピックアップしましたので、どうぞ御高覧下さい。

《参考文献》
【椎葉神楽】椎葉神楽保存連合会・椎葉村教育委員会
【椎葉神楽】渡辺良正、渡辺伸夫;平河出版社
【祭礼 神と人との饗宴】別冊太陽;平凡社
【霜月神楽の祝祭学】井上隆弘;岩田書院



上左写真【一神楽】、上右【剣舞】

上左右写真【しめぼめ(鬼神)】

上左写真【見物衆】神楽せり唄を歌ったり、囃したりで盛り上げる。
上右写真【正護院】太夫と願主による問答で、お宝(御神酒)を宝渡しする。地元民が願主として順に御神屋に入り、太夫に願い事を述べる。太夫は託宣のごとく応答する。しかし珍問答となり、見物衆も爆笑する。この曲は向山・不土野地区に伝わる。

上左写真【地固め】御神屋の中央に太鼓を置き、太夫・中司と神楽子2人の計4人が剣を唄の一節ごとに順送りする。剣の柄で太鼓を叩く。太鼓は大地で、剣の呪力で悪霊を鎮送する。そして大地を固め鎮めて、豊穣な大地に再生する。
上右写真【森の弓】

上左写真【森の矢】、上右写真【弓通し】
弓は武具でありながら、神を招いたり悪霊を祓ったりする呪具でもある。陰陽道や神道行法では、弓を用いた呪法がある。
舞では山間の獲物を射る所作も見られる。
弓通しでは、神楽子2人の向かい合って立てた弓の間を乳幼児を抱いて、三回潜る。祓いと本願成就である。

上左右写真【たじから】右手に神楽鈴、左手に神幣を持って激しく舞う。他に岩戸目標の曲が無いし、岩戸を開ける所作も無いから、たじから(手力男)の曲名は後付けであろう。太夫の勇壮な舞である。

上左右写真【かんしい】抜き身の太刀を持った祝人が、アクロバティックに舞う。この曲のみ台所から御神屋に舞い込み、そして舞い入れる。このことから、台所と関係が有る舞いかもしれない。太夫が台所で唱教を唱えるから、唱えの前の祓えの舞いかもしれない。


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