撮影年月日&場所;平成18(2006)年12月11&12日、長野県飯田市南信濃上村上町正八幡宮
撮影機材;Nikon D70s+SIGMA10-20mm、D80+VR18-200mm
現地情報;駐車場有、軽食堂有、仮眠所有(\2,000)
遠山郷上村上町正八幡宮における霜月祭りは、例年12月11,12日である。本年(平成18)は、月曜日から火曜日早朝までである。通常通り仕事を終え、午後8時に自宅を出発、中央道の飯田IC経由で向った。神楽宿の正八幡宮に着いたのは、ジャスト2時間後の午後10時であった。神楽宿内ではちょうど【四つ舞】が始まりかけていた。それから翌朝の午前5時までの7時間、とにかく撮影体制に入った。翌日も仕事が有り、帰路の高速で不測の渋滞に巻き込まれたりする想定外の事態を考えると、撮影タイムリミットは午前5時である。
上町における霜月祭りの式例祭は午後1時から始まっており、私が到着するまでに既に9時間も行なわれていたことになるが、その主だった内容は、湯立である。全国から招待した神々に湯を献じる湯立が延々と続く。湯木(御幣)は神の依代で、それを湯に浸すことで湯を献じたことになる。私が到着した時の【四つ舞】は、湯立にくっ付いてきた邪霊を祓う破邪の舞ということだ。【四つ舞】が終わると【御一門の湯】となり、また性質が変わる。これは上町では「守屋神」という宮元禰宜の祖先霊の湯立てとされていたようだから、祖霊守護霊への湯立てであろうか。切火、五大尊への呪文、神舞などの後に湯立てが行なわれる。これが午前0〜2時頃。続いて【襷の舞】を四人が袴、鉢巻、襷姿で舞う。UPした写真は、竈を扇で祓うように舞う所作である。そして【羽揃えの舞】で、四人が留袖姿で舞う、少々妖艶な舞である。上記2曲が、午前2〜3時頃。続いて【鎮めの湯(仏の湯)】である。この時、禰宜は数珠を持って切火、印を結ぶ。呼びかけるのは神々の名だけでなく、釈迦牟尼仏をはじめとした仏尊の名から祖先の霊、動植物・鉱物や道具に至るまで、森羅万象を鎮魂慰霊する神仏混淆の湯立てである。これが午前3〜4時過ぎまで、、。自宅へ向けて出発するタイムリミットも迫る午前4時20分、やっと面の登場である。新野の雪祭の乱声のように、板で叩く音と共に面舞が始まる。最初に登場するのは、【神太夫夫妻】。そして【八社】の面である。八社の神々は、滅亡した遠山氏一門の霊とも云われ、面は不気味な死霊面である。現地資料によると、建保年中(1212年)に湯立て神事と神楽が始まったとされているが、郷主遠山氏の滅亡は江戸時代初期である。元々あった鎮魂儀礼の神楽に、遠山氏の御霊信仰が加わったということだそうだ。
時は午前5時、、、まだ【八社】が続いているが、タイムリミットだ。残念ながらここまで。。帰路につく。途中、恵那峡SAで10分間のコーヒーブレイクを経て、午前7時05分に自宅に着いた。職場には午前9時に入ればよいから2時間の余裕があり、ギリギリまで居れば【四面】も撮影できたろう。ただ、それは渋滞にも巻き込まれないで帰宅できたから言えることである。いつか余裕をもって【四面】も撮影したいものだ。
《参考資料》現地配布資料、井上隆弘著『霜月神楽の祝祭学(岩田書院)』
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