撮影場所&日;長野県飯田市上村程野・正八幡宮、平成19(2007)年12月14・15日 撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm、D80+SIGMA10-20mm 現地情報;祭は14日正午から翌朝7時頃まで。本年の面登場は、午前4時半から 霜月まつりの型は、大きく三パターンに分類できる。木沢(下栗)タイプ、和田タイプそして上町タイプである。 木沢タイプは陰陽面による「怨霊封鎖・祝福」型、和田タイプは再生儀礼として「祖霊来訪・蘇生祝福」型。そして今回撮影してきた程野が属する上村タイプは、五行神面による「怨霊調伏」型だという(※)。 ではどのような構成でもって「怨霊調伏」型というのか、参考文献(※)を丸々下記に引用してみたい。 「湯切面である水の王と土の王、火起こし面である木の王と火の王が四隅を中心に飛び跳ねて周囲を結界した後のちに、金の王が五方を祓う。つまり、この水土火木金の五行神は、祭の中で禰宜が護身法としてさかんに唱える五大明王(五大尊)に相当し、その強大な力で怨霊を退散させようとするだろう。したがってこの面形舞は、まず神太夫と姥が舞処と村人を祓い清め、遠山氏の怨霊があらわれ、最後に憤怒の五行神が怨霊を調伏するのであり、「怨霊調伏」型というべき構成となる。さらに注目できるのは、この十五面は日月(陰陽)・北斗七星(七曜)と輔星・五惑星(五行)になぞらえてあるばかりか、面が前段の湯立てや舞と対応し、祭全体が徹底した怨霊鎮めに組み立てられていることである。この祭が完璧なまでに遠山氏の怨霊鎮めの目的をもって構成されていることを示している。」 八百万の神々を招いて湯を献上するだけでなく、その陰で怨霊鎮めを目的とした舞が構成されているとは、この山間を襲った天災や飢饉そして疫病など、民の厳しい生活が怨霊の形で祓攘の祭となって続いたことを意味するだろう。 「程野霜月まつり」へは仕事が終わってから駆け付け、現地で撮影を始めたのは午前零時半頃であった。そして再び仕事に戻るため、午前5時10分までしか撮影できなかった。 参考・引用文献(※)【神々の訪れー天竜川流域の芸能の面】飯田市美術博物館 |
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上写真;羽揃えの舞 |
上写真3枚;神太夫と姥 |
上写真;遠山氏の怨霊(八社の神) 、、、ここで仕事のため帰宅するタイムリミット、、、 |
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Last Updated 2009-12-29