撮影場所&日;岡山県小田郡矢掛町 崇道神社、平成20(2008)年10月25日20時〜26日01時 撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm、D80+SIGMA10-20mm 午前中の仕事後に、備中神楽の拝観・撮影に岡山県小田郡矢掛町まで行ってきた。以前から気になっていた備中神楽であるが、どこの町のHPを見ても奉納日など情報が無い。ちょっとしたことで矢掛町で25日(土)の夜に奉納されることが分かり、行ってくることができた。 同夜、矢掛町内では5箇所もの神社で備中神楽が奉納されているなど、本当にお神楽の盛んな町ということに驚いた。 当地を午後12時半に出発、中国自動車道の宝塚IC付近の集中工事車線規制で大渋滞が危惧されたが、拍子抜けするほど順調に走れた。矢掛町は山陽道の鴨方ICから約5Kmとアクセスし易い。町に早くに着いたので、何箇所かの神社を視察、今回は崇道(そうどう)神社で拝観・撮影させて頂く事にした。舞われるのは、矢掛社の皆さまである。 備中神楽には専門の舞手である神楽太夫が約400人、神楽社も50以上存在するという。備中は荒神信仰といって、祖霊に荒魂や祟り神などが習合した土地の神々の世界であり、その荒神を鎮魂する「荒神神楽」が行われていた。これは陰陽五行説や日本神道の奥義に基づいた、演劇色の少ない『五行神楽』というものであった。それが文化・文政の頃に国学の影響を受けた西林国橋という神職によって改革を受けることになった。出雲神楽を手本に、【天岩戸】【大蛇退治】【国譲】など演劇性の強い演目、これらを『神代神楽』という、を加えたのである。現在、村の産土社の13年、7年ごとに奉納される《荒神の式年神楽》では神事色の強いかつてからの神楽と神代神楽が同時に奉納されているが、毎年のお祭は《宮神楽》として神代神楽のみが奉納される。すなわち曲名として、【榊舞】【導き舞・猿田彦の舞】【国譲】そして【大蛇退治】である。よって今回拝観・撮影してきたのは、《宮神楽》である。 お神楽は崇道(そうどう)神社の神楽殿で、午後8時から午前1時15分まで続いた。 備中神楽はに用いられた楽器は太鼓だけであるが、それがリズムとメロディを独特な表現で奏でられる。その響きが歌ぐら(神楽歌)と融和し、素朴ながらも聴き応えある。舞容はメリハリが利いた小気味良さを感じ、歌舞伎の見得のような素振もある。歌ぐら以外にも言いたて(口上)もあるが、そのセリフが重視されているのが特徴の一つにも感じた。決まったセリフではなく、アドリブで拝観者を笑わせて盛り上げていく様は、話術とユーモアのセンスが重視されよう。聞いているだけで楽しくなるが、お神楽に笑いを導入したという点では、能楽の影響下に成立した出雲神楽の創設神楽である《佐陀神能》を一歩踏み出して狂言の要素も入っているのが備中神楽の世界だと感じた。このように印象を纏めると、能に狂言そして歌舞伎などの舞、そして落語や漫才の要素をも感じさせるお神楽と思えた。 お神楽が午前1時00分に終わると、帰路についた。途中のSAで2時間20分ほど仮眠して、自宅には午前7時08分に帰着した。東名阪道⇔名神⇔京滋バイパス⇔名神⇔中国道⇔山陽道を走破し、往復772Kmであった。 《参考文献》 【備中神楽】神崎宣武、光岡てつま:山陽新聞社 |
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上写真;両神(経津主命、武甕槌命) |
上左;両神、 上右;大国主命(大黒様)の種まき |
上写真;両神と大国主命による国争いの口論 |
上写真;事代主命 、恵比寿のように魚釣りをする。 |
上写真;両神と事代主命と大国主命 |
上写真;国を譲ることに最後まで抵抗する建御名方命と、両神の闘い。 |
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上左;須佐之男命の舞、上右;奇稲田姫の舞 |
上左;足名椎、手名椎(姫の両親)、上右;松尾明神、室尾明神、奇名玉による酒造り |
上写真2枚;須佐之男命と大蛇の闘い。 |
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Last Updated 2009-12-29