撮影場所&日;愛知県北設楽郡東栄町御園、 平成17(2005)年11月12、13日
平成17年度の「花祭」が始まりました。12日には、設楽町の「参候祭」(19時半〜22時半)を撮影後に御園へ移動して、23時半から翌朝5時まで撮影しました。
「参候祭」では、川合「花の舞(既UP)」で一緒だったhakiiさん(http://web-hakii.homeip.net/yoshio/)とお会いできましたし、御園では「森町天王祭舞楽(既UP)」で一緒だったSeiichKさん(http://ftbnew.hp.infoseek.co.jp/)にも再会できるなど、嬉しい夜でした。
御園に到着すると、【花の舞】の最中で、それから【榊鬼】まで撮影しました。
【花の舞】の一部では、《舞上げ》として、初めて舞う稚児が穢れないように舞庭に降り立つまで、神部屋から祭典係の大人に肩車されて登場します。舞庭は既に神聖な空間として浄化されており、この舞に至るまでにも再三にわたって結界の中は邪霊や魔障は圧伏が行なわれています。舞の前の神事、そして地固め舞もさることながら、【花の舞】の前に登場する【山見鬼】は、「熊野九十九王子のうちである眷属神の“みるめ・きるめの王子”の呪力と霊威で、空間の悪霊を制圧しており(※1)」、初めて舞う稚児が“神の子”として穢れないままに舞えるように整備されているわけです。余談ながら、この稚児を肩車して運ぶ風習は、地方舞楽など民族古典芸能に見られることがあります。
【花の舞】に続いて【三ツ舞】、そして願主のための【順の舞】などが奉納後に、【榊鬼】の《伴鬼》が登場してきます。
【榊鬼】は、「禰宜との問答に敗れて、それまでの荒霊から守護霊へ転生する(※1)」のですが、であるなら榊鬼の転生前に舞庭で乱舞する《伴鬼》は、荒霊のはずです。結界の中が様々なバリアーで守られている舞庭に、なぜこうも易々と荒霊の集団が乱入可能なのか、私にはまだ分かりません、、、。あるいは、、、かつての三日三晩行なわれていた「大神楽」での“生まれ清まり”の“擬死再生”体験での極悪非道の地獄の鬼と、死者を救済する神聖な霊威を発揮する鬼の存在が、そのまま今のスタイルの「花祭」に導入されたために矛盾してるような場面があるのかもしれません。あるいは、霊の両義性(※1)ゆえ、矛盾に思えても、矛盾でないのかもしれませんが。。
【榊鬼】は禰宜との問答に敗れて荒霊から守護霊となった後には、舞庭に敷かれた筵を踏みつけるように反閇(へんばい:「へんべ」と現地では云います)を踏みます。大地の邪霊を調伏するように、“盤古大王・堅牢地神”の霊威を身に着けながらの禹歩(うふ)です。
そして【榊鬼】は、火伏せ(火厄除)とも思われる《松明割》やセイトと竈に火を撥ね、強靭なパワーを誇示します。
花宿となった御園小学校は、過疎化で平成2年3月に廃校となった建物を使ってます。御園では少子化を見越して、昭和50年には学童22人全員が【花の舞】を舞えるようになっていたそうです(※2)。大変に賑わう御園の「花祭」ですが、末永く伝承され、活発な「花」であり続けて欲しいものです。
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