撮影場所&日;愛知県北設楽郡東栄町 小林(2004・11・13)、御園(同13、14)、東薗目(同20、21)、月(同22、23) 「花祭」は既にUPしてある「徳山神楽」と同様に、舞型神楽・湯立神楽(伊勢流御師神楽)・霜月神楽に分類される。 “湯立”とは、舞庭(まいど)という舞台周囲を“ざぜち”という模様の切り紙で結界を囲み、中央に竃(かまど)を据えてその上方に“びゃっけ”という天蓋を吊るし、釜で湯を炊きながら“びゃっけ”に八百万の神々を勧請しようという神楽形式である。 勧請する神々には健康・豊穣・村内安全などを祈願する。基盤は伊勢皇大神宮・熊野権現への渇仰と諏訪大社崇拝ということであるが、特定の神の降臨(天降り)を願うのではなく八百万の神々を全て勧請しようという贅沢さである。 内容的には神仏習合と陰陽道の影響を強く感じる。“ざぜち”には大日如来の文字や、五色の“びゃっけ”が陰陽五行思想を連想させる。 神仏習合に陰陽五行とくれば、山岳に入り厳しい修行で超越的“験(げん)”を修めて“擬死再生”を目指し、時として占い・呪術・呪詛なども行い、山里に居ついた山伏修験者が思いつく。この地に修験者が遠江や信州への尾根伝いの行者道をたどる途中で居座って、種々の儀式などを鎌倉・室町時代に伝えたことが花祭創始に強い影響と思われる。 登場する「榊鬼」が湯立ての釜の前で“反ばい”という歩を踏む。詳細に書くなら、反ばいの儀式のうち“禹歩(うふ)”というすり足である。霊神・神霊を召喚して地に潜む邪霊を鎮める呪術で、陰陽師の秘術であるが、陰陽道が明治以降廃れた後は、まさかここで生きた陰陽道に出会うとは思わなかった。“禹歩(うふ)”は、能楽だと【道成寺】の白拍子がする舞に芸能では生き残っているだけと思っていたので、驚きである。 さて、その「鬼」でる。花祭では鬼が登場するのが特色であるが、何故だろうか? 手元の本には理由が記載されていないので想像であるが、、、。 平安時代には「鬼」は“穢れ”であった。国・集落・組織に侵入する穢れこそが鬼であった。宮廷でも国家でも、そして集落でも「鬼」の侵入から共同体を守るのが苦心したテーマであった。鬼=穢れとは、疾病、飢饉、天変地異に陰謀や謀反まで人的騒乱まで、広い意味が含まれる。穢れや呪詛などから守るために陰陽師や密教僧に、後には民間陰陽師と山伏がミックスしたような人までが結界を守って、その結界を破って侵入する「鬼」と闘った。 しかし鬼=悪者であろうか?昔話【こぶとり爺さん】のように、善悪の裁判官としての善玉の鬼の側面もある。この鬼の側に身を置くことで、まるで夜な夜な宴会を開く極楽のような生活を渇望する願望もあるのではないだろうか?能楽だと【大江山】の酒呑童子や【紅葉狩】の鬼のように宴会三昧の生活は、山岳生活で辛酸を舐める民にとっては極楽への夢として描かれる。成敗される鬼の側に身を置く想像、それは贅沢三昧の都の貴族への反逆心であったのかもしれない。 余談ながら、能では角が生えた能面は怨念や呪詛の深さから「生霊」となった怨霊面であって、【大江山】も【紅葉狩】も角の無い鬼神面を使い、花祭のような鬼面とは違う。 いわゆる鬼の面を使ったお神楽である花祭は、被写体としてだけでなく民俗学的・妖怪学的にも興味津々である。 殆どの花祭は、徹夜で2日にわたって行なわれる。すべて通して拝見することは個人的時間的制約から難しいことですが、土曜日の仕事後に駆けつけて撮影した写真をUP致しました。徹夜しても月曜からの体調し全く影響を残さない『お神楽仕様』の体になってきたのが嬉しいです♪ よろしく御高覧下さい。 《参考文献》 【東栄町誌(伝統芸能編)】東栄町誌編集委員会 【花祭りのむら】須藤功;福音館書店 【日本の祭りNo.23】朝日新聞社 【お神楽】別冊太陽 【安倍晴明と陰陽道の秘術】新人物往来社 |
舞庭(まいど)で竃祓い(東薗目) |
神が宿る“びゃっけ”(小林) |
結界の“ざぜち”(小林) |
四つ舞(小林) |
地固め舞(東薗目) |
三つ舞(東薗目) |
順の舞(東薗目) |
太鼓(月) |
篠笛(小林) |
山見鬼(東薗目) |
榊鬼(御園) |
榊鬼(月) |
榊鬼(東薗目) |
山見鬼(月) |
(東薗目) |
(小林) |
(東薗目) |
(東薗目) |
おつるひゃん(観客に味噌塗り;月) |
巫女(月) |
巫女(小林) |
湯囃し(小林) |
夜が明け朝日の中、舞が続く(月) |
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Last Updated 2012-06-10