撮影場所&日;静岡県浜松市鹿谷町犀ヶ崖資料館、平成18(2006)年7月15日 撮影機材;Nikon D70s、Nikkor24−120mmF3.5−5.6、SIGMA10-20mmF4-5.6
甲府を出陣した武田軍25,000は、松平家康の浜松城下に迫った。両軍は三方が原に展開し、元亀3(1573)年12月22日(新暦2月4日)に合戦の火ぶたが切られた。軍略に長けた武田軍は、逸る家康軍を猛攻し、ついに家康軍は総崩れとなる。一転して開城の構えをとった家康をいぶかしみ、総攻撃を控えて様子見の武田軍に家康軍は夜襲をかけた。戦勝の虚を衝かれた武田軍は慌て、犀ヶ崖の谷底へと多くの兵馬が転落していった。が、結果として1,000人もの戦死者を出した家康側の敗北で終わった。 |
《参考資料》 当日配布レジュメ。犀ヶ崖資料館パンフレット |
〈上写真〉於呂上組の頭(ひんどうろう) 幟と薄絹張りの切り子灯篭を持ち進む。 |
〈上左写真〉 於呂上組 〈上中写真〉 於呂上組の、おかめ&ひょっとこ 〈上右写真〉 中瀬上組 |
〈上写真〉 小松尾島組(浜北第1支部所属) |
〈上写真〉 於呂上組(浜北第6支部所属) |
〈上写真〉 中瀬上組(浜北第6支部所属) |
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Last Updated 2010-01-01