撮影場所&日;滋賀県甲賀市土山町前野、平成19(2007)年5月3日 撮影機材;Nikon D70s+SIGMA10-20mm+PL、D80+VR18-200mm 現地情報;駐車場は周辺、コンビニが近くに有り |
上写真;花傘 |
5月3日、通常なら往復の走行時間が述べ3時間くらいのところを、GWの大渋滞に嵌って倍の6時間かかって、甲賀市土山町前野の龍樹(たき)神社で行なわれる「ケンケト踊り(祭り)」に行って来た。土山町は半月前に黒川と山女原の太鼓踊りを撮影に訪れており、今回の場所は前回の場所から僅か6〜7Kmしか離れていない。土山町には多くの民俗芸能が伝承されているが、このような近くに様相の異なった芸能があるのが驚きである。 「ケンケト踊り(祭り)」とは不思議な名前である。現地の人の法被には、『献鶏頭』と記載されているが、鶏の頭を献じたことは無く、当て字である。ケンケト踊り(祭り)は、ここの土山町以外にも、蒲生町岡本高木神社・上麻生旭野神社や、竜王町山之上杉之木神社、蒲生町宮川八坂神社にも残っており、類似では守山市小津神社・幸津川下新川神社にも残っているが、ここでは「長刀振り」と呼ぶようだ。 何故「ケンケト」と言うかというと、踊子が片足でケンケン跳びをするステップが有るからとも云われるが、他の場所の踊ではケンケンはしないそうである。ケンケト踊りに長刀を振る場所もあり、これがケンケトだという説も有るが、土山町では長刀は振らない。最近の説では、お囃子を口伝、つまり口三味線、で伝承していく口唱歌という方法で、鉦の音をケンケトと表現するとも云われている。もしそうであれば、各所のお囃子が同じお囃子でなければならないだろうから、この説も危ないと思う。いづれにせよ、ケンケトの語源は定かでないようだ。 土山町龍樹神社のケンケト踊り(祭り)は、前野・徳原に岩室の三地区が持ちまわりで行なっており、本年は徳原が担当であった。踊子は小学生が担当するが、前野と岩室では、棒振り2人・鉦1人・幣かぎ1人・小太鼓2人・ササラ2人の計8人で行なう。徳原では幣かぎが居なくて、鉦が2人で計8人と、同じ祭りでも集落によって少々構成が異なる。各集落から神社までの練行には、三基の傘鉾(日、月、矢)・三役・踊子・花笠の順で、踊子は神社境内まで穢れ無きように肩車されていく。傘鉾は安政5(1858)年の銘のものが昭和14年まで行列に加わっていたが、老朽化で途絶えていた。今年は約70年ぶりに復元されて、行列に加わった。これはまるで京・玄武神社、今宮神社の「やすらい花(祭り)」の花傘のようであるが、ここでは傘鉾と呼んでいる。「やすらい花(祭り)」より、祇園四条傘鉾の名称を受け継いでいるのであろう。いづれにせよ、「やすらい花(祭り)」も「祇園祭」も御霊信仰に基づく怨霊鎮め・厄神鎮めの祭りであるから、おのずとこの「ケンケト踊り(祭り)」の性質も窺い知れよう。であればこそ、ケンケン跳びで踊るステップは、怨霊調伏・地霊鎮めの反閇(へんばい)の一種と考えられよう。かなり風流化した祭りであるが、反閇という呪術性をひっそりと含有していることで、この祭りの真摯さが伝わってくる。
《参考文献》 |
上写真3枚、道行 練行 |
上写真2枚、上写真2枚、『花ばい』20本の花が刺してあり、これを奪って荒神様に供えると、厄除けになるという。酒、手ぬぐいや金封も付いており、参拝者に献じる場合は喧嘩になるほどのリアルファイトで奪い合う。氏子域で何本か献じる。参拝者だけでなく、踊子にも献じられる。 |
上写真2枚、踊子 頭には孔雀・山鳥・雉などの羽根が付いた冠をかぶるが、これはシャガマと呼ぶ。 |
上写真4枚、踊りは「馬場踊り」と「宮踊り」の二種がある。神社では踊りながら境内だけでなく、本殿の周囲をも周回する。 |
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Last Updated 2010-01-01