撮影場所&日;滋賀県米原市春照、平成21(2009)年9月23日 撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm、D80+SIGMA10-20mm ※祭りは、5年に一回 滋賀県米原市伊吹町大字「春照(すいじょう)の太鼓踊り」が本年、5年ぶりに行われた。 「春照の太鼓踊り」は、徳川四代将軍家綱の時代の寛文11(1671)年に旱魃に苦しんだ農民が始めたと、伝承されている。太平洋戦争前には時々行われていたらしいが、再開は昭和22(1947)年で、昭和32(1957)年に県の無形文化財になってからは、5年毎に行われている。本年の祭礼行列は総員約250人で、行列は全長200mにもなり、集落(本来は秋葉神社)内から春照八幡神社へ約1kmの距離を2時間かけて道行した。 行列は先頭から、先導(2人)・幟(2)・露払い(2)・神主(1)・奴振り(15)・法印(1)・山伏(6)・寺社奉行(2)・ふくべふり(105)・音頭(9)・笛(35)・区長&会長(2)・鉦(4)・太鼓(50)・大団扇(2) 以上であった。 奴振りは面をドウランを塗り、胸から腹に不動明王や観音菩薩やら思い思いの絵を描いているなど、かなり風流化している。むろん太鼓踊りの当初からの行列や装飾から華美に壮大化してきたのは、明治以降のことであろう。旱魃から始まった太鼓踊りも、大団扇には「返礼」と書いてあるように、祈雨の後の収穫の感謝の踊りである。この地区は伊吹山が近いにもかかわらず主だった河川も無いことから、旱魃時の水不足は深刻だったようだ。伊吹町だけでも14もの集落で太鼓踊りが有ったことは、その深刻さを物語っているといえよう。ただ現在は殆ど廃絶しており、太鼓踊りの行われる春照は貴重となっている。 尚、実際に旱魃時に雨乞いで踊りを踊るのは、かなり稀であったようだ。雨乞いの方法としては、村人が山や寺社に籠って祈願する、龍の作り物や御輿を水辺に移動させて祈る、雨乞いの面を出して祈る、大勢で無数回の水垢離をする、水神の潜む水辺をかき回す、等々が主だった方法であったようだ(※)。 (※参考文献)【近江の太鼓踊り】市立長浜城歴史博物館 |
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Last Updated 2010-09-09