撮影場所&日;滋賀県長浜市余呉町下余呉、 平成24(2012)年8月19日 滋賀県長浜市余呉町下余呉の乎彌神社に奉納される太鼓踊りは、約200年の歴史があると云われる。が、戦中戦後中断するも、昭和48(1973)年に子供の育成を兼ねて担い手となり復活。 だが平成17(2005)年に休止。昨年(2011)年に6年ぶりに復活し、そして今年と2年連続の開催となった。 しかし少子化で学童が少なく、来年以降の開催は未定だという。 その下余呉太鼓踊りは、大太鼓と鉦を中学生各2人が担い、踊手は小太鼓を小学生5人が担う。そしてお囃子は笛に詠いを女生徒が、そして後継者育成を兼ねて園児らしい年齢層の子らがタンバリンで総勢約25人が受け持つ。 太鼓踊りのために皆が7月14日から連夜、塾やクラブの後に猛練習したそうで、素晴らしい踊りを披露された。猛暑の中、不平も言わずに疲れもみせることなく最初から最後まで美しい姿を崩さず踊り続けるのは、見事としか云いようがない。 午後1時少し前に集会所で御祓いの後に出発、約600m離れた神社まで、道行きをする。神社では祭式次第にのっとり祭典が斎行されるが、その中で浦安ノ舞を奉舞されたのも、女子児童であった。 お見事! この太鼓踊り、明治時代には東本願寺の両堂の修復時に人夫の慰労に舞われた記録もあるそうである。むろん元は、喜雨後や収穫の感謝の返礼踊りである。 某市の市長においては、伝統芸能の文楽でさえ一部の愛好家のための娯楽と切り捨てる暴挙がある。 日本人が歴史風土の中で培い育み伝えてきた地域に根ざした民俗芸能は、上からの切捨て以前の危機的な状況にある。 少子高齢化の波の中で、伝承者が居なくなっているのだ。地域の人が、その土地で生きていく過程で伝統芸能に何を託していたのか知ることは、その土地の民の自然との生活習慣の関わりの年輪を知ることである。 日本全土からみれば小さな集落の出来事であろうが、そのような事象がモザイクのように組み合わさって国体を支えているのである。 日本のアイデンティティとはモザイクの一つ一つの誇りから成り立っている重要事を忘れてはならないだろう。 |
上写真;集会所で修祓。 |
上写真;修祓の後、神社へ道行きする。 |
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Last Updated 2012-09-23