撮影場所&日;滋賀県甲賀市土山町、平成19(2007)年4月15日 撮影機材;Nikon D70s+SIGMA10-20mm、D80+VR18-200mm 現地情報;食堂・屋台なし、駐車場なし・・周辺に駐車 |
甲賀市土山町では4月の第三日曜日の午前中に黒川で、午後からは山女原で花笠太鼓踊りが行なわれる。 二箇所の太鼓踊ともに鬼面の棒振り2人と太鼓の2人を取り囲むように側踊りが踊る。現在の土山町と呼ばれる地域は江戸時代には徳川家の旗本に列せられた黒川氏の支配する領域で、東海道の関宿から大津宿への往還に位置するだけに、要地であったことは確かだろう。山女原(あきびはら)は明美原の字が当てられたこともあるほどの長者村だったそうで、養蚕とか盛んだったかもしれない。なれど奥まった地域には大きな河川もなく、猫の額ほどの土地では農業用水の確保も苦労したであろう。同じ黒川氏の領地内で水争いでも起これば共同体の崩壊に結びつく深刻な事態になったであろう。よって恵みの水を乞う雨乞いは単なる芸能ではなく、切実な民間信仰の形であったはずだ。なれどかなり華美な装束でハレの日が盛り上がったであろう様子が想像できる。 太鼓踊の原型は、京の「やすらい祭(花)」であると云われている。一種の御霊信仰による怨霊封じ込め祭である。雨不足による旱魃飢饉も、成仏できないで彷徨っている死者の霊や祟りをなす 祖霊や諸邪霊が災いをなしている、と考えられていた。ゆえに雨乞いもそれらを鎮めることがメインテーマとなる。 ここの鬼は棒を採り物として、天地中を祓うような所作がある。「やすらい祭(花)」では直面だが、鬼が登場する。善鬼の呪力で悪霊を調伏するのであろうが、その鬼のイメージだけがここへ肥大して伝わり、ここの花笠太鼓踊りでは実際に鬼面をつけて踊るようになったのではないだろうか。いづれにせよ旗本の黒川氏の領地として、ある程度の安定と繁栄の下で行なわれた風流化した念仏踊りであると感じた。 |
■黒川の花笠太鼓踊り 黒川候の歴代墓地がある市場・川西の地区、そして現在の商店街の上ノ平、中ノ組から計3班の練り衆が行列を組んで、青木ヶ瀬橋で午前10時、出会い式を行なう。そして大宮神社へ練り込み、踊りの奉納となる。大宮神社の春季祭が同時進行で斎行され、拝殿・神楽殿では祭祀が神職によって行なわれる。上左右の2枚に写真は、その時の湯立てと浦安ノ舞である。大宮神社での踊りは正午ころまでで、それから民家へ移動して午後1時頃まで行なわれた。 |
上左右写真、道行きと出会い |
■山女原の花笠太鼓踊り 黒川で午前中に祭が行なわれた同日の午後2時半、山女原集落内から上林神社へ道行きが始まる。午後3時前に神社への鳥居前の道路で二班の練り衆の出会いの後、神社に踊り込む。45分も踊った後、200mほど離れた地福寺へ移動して境内で再び踊る。かつては長者村として栄えた集落も、今では30戸ほどとなり、見物衆の間では今年で最後との噂も流れた。が、祭の最後に来年も行なうとのご挨拶があって安堵した次第である。 |
上写真2枚、上林神社 |
上写真、神社から寺へ道行き |
上写真、天徳山地福禅寺 |
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Last Updated 2010-01-01