日本!(雅楽・舞楽)
No.39 車折神社 『三船祭』
京都市 嵯峨嵐山 大堰川、 平成24(2012)年5月20日

5月の第三日曜日、京都市の嵯峨・嵐山の車折神社さんで『三船祭』が斎行される。
車折神社での祭典の後、大堰川の岸辺まで行列で参進する。神殿に設えられた御座船(ござぶね)には御神霊が坐し、神主と舟人(ふなびと)が乗船すると、幟を立てた小船に従い大堰川の上流へと出航する。この御座船を追うように龍頭船(りゅうとうせん)・鷁首船(げきすせん)と、20数隻の各供奉船は進み、御座船の前にて、次々と芸能が奉納披露されつつ大堰川で2時間、船遊びが行われる。
この祭礼は、宇多上皇の昌泰元年(898年)に大堰川で御舟遊びされた平安時代の雅の再現だという。龍頭船では舞楽「迦陵頻」「胡蝶」「蘭陵王」が奉舞される。 ん? 898年? 右方の童舞「胡蝶」が作られたのは延喜6(906)年であるから、その時の再現というのは信じがたい。
では祭りの名前になっている『三船』ということは、何であろうか。平安時代の貴族にとって、詩歌管弦(漢詩・和歌・管弦)は貴族社会のたしなみである、当時に大堰川に逍遥したさいに、漢詩を作る舟・和歌を詠む舟・管弦の演奏をする舟の三艘を浮かべて、それぞれの分野に抜きんでた貴族が乗り込んで船上で能力を競うことがあったことに由来している。ゆえにその詩歌管弦に通じた者を「三舟の才」と称したという。つまり宇多上皇の大堰川御幸に起源を求めると「胡蝶」など舞と時代が合わなくなってしまうが、平安時代の貴族一般の御遊に起源を求めれば、大堰川の舟遊びの納得できる処である。ただし、それでも舞楽が船上で舞われたのかは疑問の残るところである。雅楽の全盛であった平安時代中期、「管弦の御遊」といって、天皇や公家が催す園遊会スタイルの合奏会が盛んに行われた。管弦曲と雅楽歌謡が交互に披露されるのだが、演奏家と聴衆に分かれるのではなく、おのおのが交互に演奏しあって楽しみ技量を褒めあったりするのであった。つまり大堰川での平安時代の舟遊びも現在の観光客が眺めて楽しむというスタイルではなく、船上でお互いが演奏と観賞を交互にするというものであったのだ。現在の『三船祭』は昭和3(1928)年の昭和天皇御大典(即位の礼・大嘗祭)の時に記念して始まった祭りである。平安時代の再現ながら、既に演奏者と聴衆という完全分離が行われたのである。しかしこの『三船祭』は平安時代の雅の再現と云われるが、はたしてそうであろうか?単にそれだけでないのは、御祭神の還御ともいうべき御座船が存在することから、単なる観光行事でないことは自明であろう。御祭神は平安時代の儒学者の清原頼業であるが、その御神霊の神輿渡御的な“鎮魂儀礼”であることは確実である。御座船の前で順番に奉納船が舞楽・和歌・漢詩・茶・今様・謡などなどを奉納していく。観光のイベント行事ではなく神道祭祀の祭式次第の一部に過ぎないこと、三船祭の大堰川の船については知っておく必要があろう。

余談になるが、雅楽の「御遊」の雰囲気を再現したCDが出ている。 KING RECORDS『雅楽 御遊』(KICH169)である。
収録曲は 平調調子、催馬楽・伊勢海、唐楽・甘州、唐楽・林歌残楽三返、朗詠・徳是、唐楽・陪臚  で、演奏は東京楽所である。

■左方舞楽『迦陵頻』(童舞)

■右方舞楽『胡蝶』(童舞)

■左方舞楽『蘭陵王』(走舞)


■今様


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Last Updated  2012-11-07