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No.102 イワクラ(岐阜県)

天体観測装置としての巨石を「イワクラ」に属させるか、、、多分、現代人が器具と して装置を扱う感覚ではなく 神憑り(御神体を含む)として巨石を通して神々の世界をみていたであろうと推測 し、「イワクラ」で UP 。

岐阜県は「イワクラ」の存在が多い。随時追加UP の予定。


■ 金山巨石群 (岐阜県下呂市金山町岩瀬)

金山巨石群は三つのブロックに分けられる。「岩屋岩陰遺跡巨石群」「線刻のある巨 石群」「東の山巨石群」 である。それぞれが天体観測装置装置として時季に応じて活用されていたと思われて いる。

上写真2枚;「岩屋岩陰遺跡巨石群」

冬至の日の入り、春分の日の入り、秋分の日の入りが観測できる。

3つの巨石で構成されており、冬至をはさんだ120日間は巨石の岩屋の中に太陽の光 が差し込むが、夏至の 120日間は岩屋に太陽光が差し込まないように巨石の角度が工夫されている。

その光の差し込み状態は冬至の前後60日間でスポット光が岩屋内の一つの石面を照ら す。春分の日、秋分の日 の前後の一定日時の間も岩屋内に差し込む光の移動を観測できるようになっている。

この遺跡からは縄文時代早期(11500〜7000年前)の遺物が出土している。

巨石群の中には北斗七星を模した刻が入った巨石も存在するが、その状況から「岩屋 岩陰遺跡巨石群」が 造られたのは紀元前2800年ころの縄文時代中期と推測されている。

上写真4枚;「線刻のある巨石群」

夏至、春分、秋分の日の出が観測できる。

主に4つの巨石から構成されているが、3つは太陽観測に用いられ、一つは北斗星・ 北斗七星方面に切り込みが 向いていることから、星の観測に用いられたと思われている。

夏至のころ、線刻のある巨石などでできた岩屋の内部に光が差し込み、スポット光と なる。そのスポット光の 状態は巨石に刻まれた線刻に一致する。そしてその時、巨石の真上中央から太陽が昇 る。

なお、冬至の日の出を観測するのが「東の山巨石群」で、上記の二ヶ所の巨石群から 約500m離れた山頂の巨石 である。

金山巨石群は火山が噴火したときの濃飛流紋岩で、巨石が風化浸食されたものなら残 留磁化の方向が揃っている はずだが、揃っていないという。ということは各巨石が移動・回転を行っていること を示しているという。

稲作は縄文時代前期(4500〜7000年前)に遡るというが、集団生活を行うようになっ た人々が栽培や稲作の ために暦を知る必要性から、天体観測装置を設定したと考えられるのだ。


■ 笠置山(岐阜県恵那市笠置町、中野方町、中津川市蛭川)

標高1128mの山頂付近には巨石群が存在しているが、そこの巨石群が磐座として祀ら れている状態には無い。

中腹には巨石の列石が存在し、その一番最下方には俗称「ピラミッド・ストーン」が 存在する。

列石の一つには縄文人が雨乞いで「ペトログラフ(古代岩刻文字)」で  と記され ているという。

上写真3枚;松王寺、白雲寺・寺屋敷跡 と云われる巨石群。俗人は禁足とされていた 地で、笠置山を拝する 山岳信仰の修行の場であった可能性が考えられる。巨石の間には清水が今も流れ、50 センチ四方だが 足場も有る事から、何かの行事や祭礼が行われていた可能性がある。 南朝の宗良親王あるいはその息子の尹良親王が潜伏していた場所という伝承もある。

上写真2枚;8つの列石が山林に並ぶ。そのなかの一つに「水を我らにと祈る」と読 む(?) ペトログラフが刻まれている。確かに雨粒と雨だれみ見えるが、、、。

上写真2枚;8つの列石とは違うブロックに、祭祀遺跡と思われる巨石がある。舟石 のように迫り出した 巨石の下に、儀礼でも行ったかのようなスペースがみられた。

上写真;ピラミッドストーンと俗称される巨石。鋭くエジプトのピラミッド状に切り 取られたような 形状だ。ペトログラフがあると云われるが、分からなかった。8つの列石の延長線上 に存在するから、 何かの指標的役割だった可能性がある。


■ 戸隠神社(岐阜県郡上市和良町宮地)

天照大神が岩屋に御隠れになった場所には 天の岩戸神社(宮崎県高千穂町)が鎮座 しており、 御隠れになった天照大神を岩屋から出すために手力男命が岩屋の戸が、長野県戸隠の 戸隠神社 まで飛んで行った。その途中で破片が落ちたのが、この添付写真の戸隠神社の地であ る。

その破片は重ね岩として祀られている。重ね岩上部の岩は42トンもあるという。 境内には大小9つの岩があり、「九頭の宮の磐座」と呼ばれている。


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