撮影場所&日;島根県松江市美保関町 、平成18(2006)年3月5日 撮影機材;Nikon D70&D70s、NikonAF VR24−120mmF3.5-5.6、SIGMA 18−50mmF2.8 ◎巫女神楽は、神社の許可を得て撮影 本田安次氏の著書(※1)を見ていて、美保神社の巫女神楽に関する記述に目が留まった。・・・「参拝者があってもなくても、朝夕拝殿に於いて舞を奉仕」・・・奉納される巫女舞が、参拝者の有無に関係ないのは神事ならではです。当然、どこのお社でもそうですが、巫女舞は御祭神への饗応で鎮魂・神威更新を目的としているからです。だから参拝者は関係ない・・・分かってはいますが、やはり参拝者の居ない時に舞われる巫女舞、、これは奉拝してみたいと思いました。巫女舞は一日に二回奉納されるので、チャンスは二回。その神事は『朝の奉り』が午前9時(夏場は午前8時半〜)からで、『夕の奉り』が午後4時からです。冬場は『夕の奉り』の時間は暗いと思い、日照時間の長くなる3月を待って一路、いざ西へ、、、。 |
《参考文献》 (※1)【日本の民俗芸能】P.11、本田安次;錦正社 |
[上写真右] 島根半島の東端に位置する松江市美保関町が、美保神社の鎮座される町です。島根半島は【出雲国風土記】によると、八束水臣津野命が、四回の国引きによって西から東へ形成したという。特に美保神社の在る場所は、「高志の都都の三埼を、国の余り有りやと見れば・・・(中略)・・・国来々々と引き来縫へる国は、三穂の埼なり(※2)」と、北陸方面から引っ張ってきて島根半島にくっつけたのが美保ということになります。その時に国を固定した杭が「火神岳、是也(※2)」、すなわち鳥取県の大山ということになります。上写真右は、美保神社から更に東に3〜4Kmも行った地蔵岬から写した、美保湾と遥か火神岳(大山)です。かつて松江に滞在していて美保関を訪れた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、「大山の霊峰が空に高く浮かび出て、その頂上の筋目は雪を戴いている(※3)」と記しているが、私の訪れた日も同じ様に頂に雪のある美しい霊峰の姿でした。 [上写真左] この美保神社の御祭神は事代主命と三穂津姫命です。神代において高皇産霊尊(たかみむすみのみこと)は、葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定に、二柱を遣わされた。大乙貴神がその子の事代主神に国譲りを相談しようとした時、事代主神は美保の御崎で釣りを楽しんでおられた(※4、5)。釣りをされていた所は、沖之御前島と地之御前島とされており、現在も美保神社の境内となってます。美保灯台の近くには、両島の遥拝所があり、鳥居の眼下に島が見えます。余談になりますが、国譲りにちなんだ行事が青紫垣神事と諸手船神事として伝わっています。 |
《参考文献》 (※2)【出雲国風土記】P.33、34;講談社学術文庫 (※3)【神々の国の首都】小泉八雲、P.207;講談社学術文庫 (※4)【古事記】P.61;岩波文庫 (※5)【日本書紀】上巻P.57;講談社学術文庫 |
小泉八雲は蒸気船で松江から美保関港に着いた、と書いてます。「蒸気船は美保神社の御前で停まった。神社の石畳の参道は水際までゆっくり下ってくる。(中略)広い参道をずっと見やると、向こうに大鳥居があり、巨大な石灯篭が並んでみえた。(中略)一段と高く神社の御本体である御明神の尖った千木が左右に交差して、こんもり森で蔽われた山の緑を背景にくっきり浮かび上がっている(※6)。」参道に直角に交差する江戸時代に整備された青石畳通りとは別に、現在は海岸沿いに県道2号線が島根半島の南側を東西に通っている。境港方面から美保関に行くと、道なりに自然と美保関港に着きます。港に車を駐車したが、かつては神社参拝者や北前船が停泊して、乗降で賑わった場所であったことでしょう。小泉八雲が美保関町を訪れたのは明治24(1891)年と思われ、それから115年、今では木々が伸びて、小泉が記述したように港から社殿を直接見ることはできなくなってました。 |
《参考文献》 (※6)【神々の国の首都】小泉八雲、P.208;講談社学術文庫 |
美保神社の本殿は、左殿で三穂津姫命を祀り、右殿で事代主命を祀ってます。三穂津姫命は【出雲国風土記】では大国主命が「奴奈宣波比売命と結婚して産ませ令めし神、御穂須々美命(※7)」として登場します。美保神社略記では「高皇産霊神の御姫神にましまして、大国主命の御后神として、高天原から稲穂を持って御降りになり、庶民の食糧として広く配り与えられたもうた(※8)」とあります。事代主命は民間信仰の恵比寿と習合して福神として、航海・漁業の神としても崇められています。海からの来訪神として、岬のような地形の所では祀られることが多い(※9)、といいます。 |
《参考文献》 (※7)【出雲国風土記】P.93;講談社学術文庫 (※8)【美保神社略記】美保神社 (※9)【すぐわかる日本の神々】P.20、鎌田東二監修;東京美術 |
「朝の奉り」「夕の奉り」の二回、毎日、巫女舞が奉納されます。なぜ毎日2回なのでしょうか? 三穂津姫命が伊勢神宮の豊受大御神のように御饌都神(みけつかみ:食物の神)であることから想像しました。伊勢神宮外宮では、毎日朝夕に神々に御神饌が供進されてます。その神事を「日別朝夕大御饌祭」(※10)といいます。美保神社においても朝夕の巫女舞は、まさにその神事に類するのではないかと思いました。 舞は殆ど本殿向きで舞われるので、拝殿側面を覆う幕の間の拝殿外から、許可を得て撮影しました。巫女の千早は無地でシンプルですが、天冠はまるで天女伝説で有名な清水の美保松原を舞台にした、能【羽衣】のシテを連想させる冠でした。龍笛と太鼓のお囃子で舞う巫女舞は、たいへんに美しい舞でした。 拝殿内はかなり暗く、Nikon D70+AF VR24−120mmF4-5.6を使って「朝の奉り」の時が、ISO800、f5.6AE(+1.7)で1/20秒でした。「夕の奉り」の時は更に暗く、ISO1250、f5.6AE(+1.7)、1/10秒で、朝夕ともに手持ち撮影という厳しい条件でした。神事ですから、ノーフラッシュ撮影です。 下の四枚のうち、上段2枚が「朝の奉り」。下段の2枚が「夕の奉り」です。 |
《参考文献》 (※10)【伊勢神宮】P.87、所功;講談社学術文庫 |
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Last Updated 2010-06-10