御田植神事とか御田植祭とか神社によって呼び方は違うが、稲作の豊穣を願っての祭典である。この稲作の豊穣祈願の祭は、色んな様態をとって演じられる。そしてその様態は、ボーダーレスに取り入れられて演じられる。各スタイルを見てみます。 例えば『田舞』は天平14(742)年に宮中大安殿で舞われた記録があるようだが、宮廷以外では皇大神宮でも舞われ、やがて中断。今では各地の神社で、主に巫女さんによって舞われる場合が多いようだ。農耕予祝の『田遊び』というジャンルがある。例えば愛知県の田峯や静岡県の西浦では『田楽』と呼んで、代引き・種蒔・田植・鳥追いなどを収穫まで順に演じる。『田楽躍』は一般的に云うところの、伎楽や舞楽と共に輸入された渡来芸の『田楽』である。やがては田植えのお囃子にも取り入れられたが、田楽法師という専門芸人を生みだした。彼らはやがて、田楽能など猿楽のような能にも接近していくことになるが、田の稲霊の鎮魂から離れた結果は、猿楽座の興隆の前に衰退した。『囃し田』という芸能がある。早乙女が田植えを行い、囃し衆が鼓・笛やササラを鳴らして田に降りて歌い踊る。 このように“田”に関連した芸能には多くの種類があるが、今回UPした多賀大社と住吉大社においても、奉納される内容は同一ではなく、種々の演目が田植えと並行して行なわれる。多賀大社においては田植えとほぼ同時進行で、田楽・弓舞・湯立神楽・豊栄舞・囃し田そして尾張万歳が奉納される。尾張万歳に至っては奉仕者への慰労というより、穀霊に対する余興であろう。 住吉大社では、田舞・神田代舞(みとしろまい)・源平武者行事と棒打ち合戦・田植え踊りに住吉踊りが奉納される。 このような演目で奉納される御田植祭と、地方(例えば田峯田楽や西浦田楽〜既UP済み)の田遊びと大差が無いように錯覚されてしまうかもしれない。地方の集落の田楽は、少なくとも田楽を行なう集落における農作物豊穣予祝が主目的であるはずだ。とりあえず集落内が豊穣であれば、子供の口減らしも無く餓死も無い。年貢も納められる、、、それが最大の祈願であるはずだ。 では今回UPした神社では、氏子の稲作豊穣が主目的だろうか?無論、それも有ろうが、国の国力の土台は農耕であるから、国家の繁栄すなわち国体の揺ぎ無き維持と堅持存続が最大の目的であろう。神社の一年の祭祀は、稲作とテーマにしていると考えてもよい。伊勢神宮の例だと、二月の祈年祭、五月八月の風日祈祭、九月の抜穂祭、十月の神嘗祭に十一月の新嘗祭などなど、、、。古来、朝廷から地方の神社へは奉幣が行なわれることで、天皇の関心は全国の神社の関心事となった。そして新嘗祭に献じる稲の収穫は誉となる。農耕予祝の演目の奉納だけでなく、実際に御神田で田植えがされて収穫されるのは、このためであろう。 |
《参考文献》 【日本の伝統芸能】本田安次;錦正社 【神道の本】学研 【すぐわかる日本の神々】鎌田東二監修;東京美術 【日本史の中の天皇】村上重良;講談社学術文庫 |
■多賀大社 御田植祭
撮影場所&日;滋賀県犬上郡多賀町、平成18(2006)年6月4日 |
上左写真;湯立神楽で御神田を清める。湯を御神田の穀霊に献じる、ともいえる。 上右写真;豊栄舞 |
上左写真;歌女(うたいめ)。舞台上で、田植え唄を歌う。 上中写真;植女による田植え。 上右写真;植女(うえめ)・踊女(おどりめ)の、外見的区別は無い。 |
上右写真;御田植え。植女が植え、踊女が畔で踊る。 |
☆平成19(2007)年度 多賀大社御田植祭 (6月3日) 撮影機材;Nikon D70s+VR18-200mm、D80+80−200mmF2.8D |
昨年は早乙女さんの斎田への参進に同行していたら、豊年太鼓踊りの道行きを撮影することができなかった。 今年は太鼓踊りの、斎田までの多賀町内の道行きも撮影したく、出かけた。豊年太鼓踊りを奉納されるのは、滋賀県米原市朝日の朝日八幡神社で秋に雨乞いの太鼓踊を奉納される一行である。伊吹山の東側の揖斐郡揖斐川町にも多くの太鼓踊りがあるように、伊吹山周辺では各地で太鼓踊が伝承されている。今年は昨年とは異なり、多賀大社前から太鼓踊りの一行が早乙女さんらを先導する形で、斎田まで道行きした。 |
■住吉大社 御田植神事(住吉の御田)
撮影場所&日;大阪市住吉区住吉、平成18(2006)年6月14日 |
上左写真;本殿の儀で、植女に早苗が神官さんから渡される。 上右写真;本殿前に整列される植女。ここ住吉大社の植女は、実際に田には降りない。苗を替植女に渡す。 |
上左写真;本殿の儀を終えて、御田式場の儀へ向う。 上右写真;御田式場の儀の始めに、舞台上より御神水を神田に注ぐ。 |
上右写真;八乙女。田舞を舞う。田舞の唄は、平安時代中期から歌い継がれているとの記録があるという。 |
上右写真;八乙女による田舞 舞う巫女さんは緋襷姿である。里神楽では男性の舞でありながら、妊婦の緋襷を着して舞う曲がある。舞終えた後で襷を貰うと安産だと云う。妊婦の出産という行為は古来、稲が穂を実らせることに通じる行為だという。 |
上左写真;御稔女(みとしめ) 上右写真;御稔女による、神田代舞(みとしろまい)。植女に明治になってから、新町郭の芸妓が奉仕するようになったためか、日舞的な舞である。 |
上右写真;源平の棒打合戦 今ではアトラクションになっているが、昔は相撲のように赤白で勝負をつけていたかもしれない。 |
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Last Updated 2010-06-10