■田植祭 |
撮影場所&日;京都市伏見区、平成19(2007)年6月10日 撮影機材;Nikon D70s+80−200mmF2.8D、D80+VR18-200mm |
花菖蒲が可憐に、斎田横の池に咲いていた。縄文時代末期には稲作が始まっていたらしいが、暦の無い頃は、各種の花々の開花が農耕の指標の一つであった。特に梅雨の頃に咲き始める花菖蒲は、田植の目安となった。暦の確立は古代律令制下で、陰陽師が属していた陰陽寮が白鳳時代(676年)に設立され、天体の動きから暦を作成する暦道ができあがった。やがて陰陽道は国家体制に組み込まれ、大宝律令(701年)で皇室の年間の祭りの神祗令が制定されるにも、大きな役割を持ったであろう。農耕国家体制の中央では早くから暦は一般的でも、地方の民が田植えをするのに暦がどの程度役に立っていたか、それは想像するしかない。しかし視覚的で安直に分かり易い花の開花が、各季節の生活リズムの指標の一番の目安であった可能性は、近世まであったのではなかろうか。これまでUPした民俗芸能でも、“花”はキーワードとなっている祭りがある。静岡県の『藤守の田遊び』で、頭の上に花の飾りを乗せて舞う「猿田楽」は、桜を表わしているという。桜の満開は、稲の実り豊かな予祝だという。京都の『やすらい花(祭)』では、桜の散る頃は疫神が跋扈するから鎮めるのだという。散ることは季節が変わり疫病が出易くなる不安と、散ること自体が不吉なのだろう。桜の花の開花を見て、民は野で田植えの準備を始める。そして花菖蒲の開花で田植えである。 『田植祭』が斎行される斎田の横に咲く花菖蒲、、、多くのことを示唆しているようであった。 |
■抜穂祭 |
撮影日;平成21(2009)年10月25日 撮影機材;D80+VR70-300mm、D300+VR18-200mm 御加護のもと御神田でたわわに稔った初穂が、神楽女の「抜穂舞(稲穂舞)」が舞われる間に、奉仕員20人によって稲刈りされた。この御神田は3.3アール(100坪)の面積あり、ここで収穫された総計約150Kg(二俵半)の御初穂は、まづ新嘗祭(11月23日)に供されてから、諸祭典のご神饌として供されることとなる。 神楽舞は約5分程であり、ご神田の稲穂は全て刈ることはできないので、祭員が退下された後にも稲刈りは続いていた。尚、神楽女はダミーの鎌と稲穂を採物として舞う、独特な曲であった。 |
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Last Updated 2010-06-10