撮影場所&日;京都市東山区即成院、平成19(2007)年10月21日 撮影機材;Nikon D80+SIGMA18-50mmF2.8+VR18-200mm、D70s+SIGMA10-20mm 現地情報;お練供養は13時〜14時半、駐車場は泉涌寺駐車場、本堂内は特別参拝券¥1,000必要 |
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平安末期より起こった浄土教の「来迎思想」では、人の臨終の時に五色の雲に乗った阿弥陀如来が二十五菩薩を引き連れてきて、浄土へと導いてくれるという。 即成院ではその「来迎思想」を表すために本堂を極楽浄土として、地蔵堂を現世になぞらえて、その間に長さ50m高さ2mの掛け橋を渡し菩薩姿でお練する(大地蔵菩薩が阿弥陀如来の化身として登場する)。お練では本堂(極楽浄土)から地蔵堂(現世)へ来迎し衆生済度の後、本堂へ還列する。還列後に本堂では来迎和讃に合わせて、観音・勢至・普賢の三菩薩による極楽浄土の『仏の舞』が舞われる。 識字率の低かった頃、信者にビジュアル的に教えるため、特に中世の頃には盛んに『二十五菩薩来迎図』が描かれた。その来迎図の殆どが山岳を背としており、阿弥陀如来が多くの菩薩を従えて、山頂から山麓へ降りてくる。そして臨終者の軒先まで近づいてくる。これは山が古くから死霊の上る特別な区域と考えられており、浄土は山の中に存在するという山中浄土観・山中他界観が日本では浄土観として成立したからである。そこで興味深い点がある。即成院は泉涌寺の末寺であるが、ご本山の泉涌寺境内には美しい石造宝塔(左上写真)が安座している。この宝塔についてお寺に尋ねたら詳細は不明であるが、末寺の今熊野観音寺など周辺山間部にあった墓地を明治の寺領削減の頃に整理して、石塔などを移動したことがあるので、その時に境内に移設されたかもしれないということであった。つまり即成院の背後の山は、墓地が広がっていた死者の世界であったのだ。泉涌寺裏の月輪山には四条天皇はじめ多くの天皇、皇后らが祀られる御陵“月輪陵(つきのわのみささぎ)”があるし、四条天皇の父君であられる後堀河天皇の観音寺陵(左下写真)や孝明天皇の後月輪東山陵もある。すなわち、この山周辺に天皇陵が存在することも、他の墓地が有ったことも、この一帯が浄土と考えられていたからであろう。その山中浄土が広がる山の麓にある即成院で二十五菩薩お練供養が行われることは、むろん無関係ではないだろう。背後の山こそ浄土であり、そこから現世へ諸菩薩が来迎するという観念こそ、この行事が始められた頃の発想の中心であり、死者の霊は背後の山に菩薩の導きで上っていくということなのだろう。即成院での行事だけを見ていても理解できないことが、天皇陵や墓地の存在との関連から全体像が見えてくる気がした。 お練では二十五菩薩は本堂から地蔵堂へと一往復される。掛け橋には五色の布が垂れているが、来迎の際に乗ってくる五色の雲を表現しているのだろう。還列後に本堂で舞われる『仏の舞』は、極楽往生した慶びの舞であろう。 《参考文献》 【仏教民俗学】山折哲雄、講談社学術文庫 【浄土の本】ブックスエソテリカNo.7、学研 |
■下写真三枚、本堂にて『仏の舞』
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Last Updated 2010-06-10