撮影場所&日; 三重県度会郡南伊勢町古和浦、平成22(2010)年6月13日 三重県度会郡南伊勢町古和浦の、浅間祭を奉拝・撮影してきた。 八柱神社で午前8時半に祭典後、約2Km離れた浅間神社まで道行きをする。道行きは、御幣・神主さん・梵天・踊り竹・梵天の順で進んでいく。梵天は高さ5m位の傘状に紙垂が付いた神座である。踊り竹は、長さ5mくらいの笹竹を地面に平行に寝かせ、それを縄で両側から14人程の踊子が古和浦音頭を歌いながら、地面に叩きつけるように進んでいく。古和浦の町中を抜け浅間神社に着き、御幣や梵天を奉げて祭典。祭典は午前9時40分頃に終了した。 南伊勢町の各集落には、多くの浅間神社が祀られており、この時季には浅間祭が行われる。なぜ浅間神社が多いのかは、この浅間祭の様式も内容も多々古文書など無く不明であり、推測することしかできない。浅間神社を祀る集落には、浅間講(富士講)があり、その祭りとも云われている。浅間講(富士講)は富士山を神の山と崇め参拝する講集団であるが、江戸周辺の浅間講と異なって、近畿地方では修験道由来の講集団で、初夏に水垢離を行ったりしたという。海辺ゆえ、海水に浸かっての水垢離は容易であろう。富士山を駿河湾の漁師さんが海上での目印にしたということから、漁業の町で富士山=浅間神社をならって漁の目印にした山に浅間神社を祀って、浅間講を行ったという考えありえよう。あるいは富士山や信濃の浅間山、それに伊勢の朝熊山(あさまやま)などと同じように、お山を湧水守護の神様、つまり山ノ神として崇めたのかもしれない。興味深いのは、この近隣である伊勢の朝熊山(あさまやま)は、祖霊の住まう霊山と考えれていることである。死霊の鎮留する山、それが伊勢の朝熊山(あさまやま)である。案外と富士山と結びつけて考えるのではなく、より伊勢の朝熊(あさま)=南伊勢の浅間(あさま)、として考えた方がよいのではないかとも思う。集落の背後の山が、死者の霊の還る山中他界と考えることが背景にあり、富士浅間神社の御祭神等、いろんな要素が習合したと想像するのは飛躍し過ぎであろうか。 ※撮影にあたって、神主さん、古和浦の皆様に感謝申し上げます。 |
上左右写真、梵天。左は八柱神社で道行き前。右は浅間神社で奉納後。 |
上左右写真、踊子。踊り竹を上下に振りながら、時には地面に叩きつけながら道行きもする。この行為は、地霊鎮めであろう。 |
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上写真、浅間神社への階段を駆け上がる。 |
上写真、浅間神社における祭典。 |
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Last Updated 2010-06-29