撮影場所&日;三重県度会郡南伊勢町方座浦、平成22(2010)年7月3,4日 方座浦の浅間祭は二日間におよぶ祭りで、宵宮は19時45分から、町中での道中踊りが行われた。本日(ほんび)は07時30分から11時30分まで、町内を幣を二基伴って道中をする。そして昼食後、12時半から、町の背後の浅間山に安坐する浅間神社まで幣を奉納に登る。 宵宮は17時20分から約15分間の「おつとめ」から撮影した。「おつとめ」とは奉仕講員全員が、浅間神社の御祭神である木花之佐久夜毘売の神絵像の前で、数珠と持ってマントラ(真言)を誦する。神仏習合である。続いて宴席でかなりアルコールが入ると、19時頃から各講員が顔に白粉、紅や絵の具で歌舞く。そして町中へ太鼓に合わせて「浅間さんの歌(題名は無いという)」を歌いながら練り歩く。この化粧、浅間神社が木花之佐久夜毘売と姉の石長比売も祀るが、石長比売が醜女だったので、そのような化粧をしていると説明を受けた。そして竹幣が二本あるのは、姉妹の御祭神とも云う。地域の伝承であろう。石長比売と富士浅間信仰を結びつけるのは苦しく、化粧は醜くするするためではなく、逆に女神に奉仕するために秀麗にしたのが始まりではないかと思う。ただ、幣の二本は話が矛盾するように思われてしまうが、胎蔵界と金剛界を現す、すなわち金胎曼荼羅の山岳修験道の影響を受け継いだ幣と推察している。この修験道の影響は、贄浦の浅間祭のUP の キャプションでも記した通りである。元々は神仏習合だから、矛盾しているようで矛盾でないと思うが。現在の南伊勢町には、各集落で所見の異なる浅間祭が多く分布している。今年は三箇所を撮影しただけであるが、富士浅間信仰という神祇の世界だけではどうにも説明できない様相が、見え隠れする。大峯(峰)修験とか、山中他界という死霊などとの関連も考えられると思っている。 それと幣は大幣・小幣が二基あるが、この幣は籤で選ばれた神男が一年間、山上の宮守として見守っていく、宮座のような形も見受けられる。 方座浦の湾の町から、幣を直立させたまま、岩場に取り付くように山上の神社まで奉持して登って行くシーンはクライマックスである。海を背後に見ながら、2時間かけて浅間さんの祠に登頂した。山は女人禁制である。 ※ 方座浦の皆様にはお世話になり、ありがとうございました。 |
■ 宵宮
太鼓に合わせて、およそ80有余名が踊りながら町内を、防災センターから中町・裏町から魚市場まで練り歩く。一種の踊り念仏が原型であろうと思う。撮影日は大雨の中での踊りであった。 |
■ 本日(ほんび)
午前中の幣が踊り念仏を伴って氏子域を周る行事と、午後からの浅間山への幣の奉納の2行事に大別できる。 |
上写真3枚;「浅間さんが来たよ〜っ」の先触れで、氏子衆が家から徳利を手に出てくる。そして幣の根元に御神酒を掛ける。 |
上写真2枚;講員の踊手と、太鼓方。 |
上写真2枚;大幣・小幣の神男の家に、踊り込む。踊りの後に、接待を受けて盛り上がる。 |
上写真4枚;午後からいよいよ、幣を浅間神社に奉納すべく、浅間山に登る。山頂の祠では、その周囲で踊り念仏を行う。 滑る岩場もある山へ、幣を倒さずに登るのは大変なことで、山岳修験の修練と修行を兼ねているといえよう。 |
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Last Updated 2010-07-15