日本!
No.61 米野木御馬頭祭り
撮影場所&日;愛知県日進市米野木、平成22(2010)年10月10日

愛知県日進市米野木で行われた、お馬頭(おまんとぅ)祭りを撮影してきた。
神籬(ひもろぎ)となる神具を背に戴いた神馬が東西の地区で二頭、米野木神明社へ献馬される行事である。行事は大きく二部に分けられる。
まず午前7時半から天白川沿いでの禊行事、その後に米野木内の巡行。禊では忌竹で清められた空間を献馬隊が通り、御塩で清められる。巡行は、祭事係・指揮者・警護隊(鉄砲・棒・長柄鎌)・馬の口取り・綱持ちなどで編成されている。町内の巡行では東西の区域の、各家を練り歩く。各家では献馬隊の到着を待ちわび、到着すると住人が神馬に奉納を行う。神馬が、各戸の繁栄を祈念しつつの巡行である。この巡行は4時間にもおよび、午前中にかなりの長距離を巡行することとなる。
そして午後からは、米野木神明社へ社参である。神社は山の上に鎮座しており、馬は参道を駆け上がる。坂道を躊躇していたのでは登れないので、馬を口取りが引っ張り、一気に全速力で駆け上がる。総勢25名ほどが歓声を上げながら駆け上がる様は、スリリングである。ただ、多度大社のように何頭上がったかで卜う(うらなう)行事ではなく、馬を安全に山の上の神社に上げることが目的である。そして馬が山上に上がったら、境内の周囲を取り囲む円周状の馬場を、これまた2名の口取りに守られながら全速力で駆ける。これが早駆けである。馬が駆ける速度に、人が振り回されてはならない。それにしても警馬隊の人達、凄い体力である。早駆けが済むと、警馬隊の総勢50名ほどが境内を自分の足で駆けながら、拝殿前まで来て、賽銭を投げていく「お百度参り」である。疲れてくると拝殿前まで来ないで境内の階段下から賽銭を投げるから、賽銭箱の近くで撮影していたらお賽銭が当り恐ろしくてたまらない。
以上、行事の概略を記したが、勇壮豪華な祭りで、素晴らしい祭りであった。
祭りの起源は、岩崎城の城主になった丹羽氏清氏が白山宮に献馬したのが最初と伝わるそうであるが、昔は近隣でもこのような御馬頭を行う集落が多くあり、猿投神社で集合したという伝えもある。ただ現在は、この米野木に残るのが唯一の御馬頭行事となっている。米野木の集落は、近隣集落の本郷や藤島が水争いをしたときに仲裁に入るなど、大きな力を持った集落だった可能性がある。現在の御馬頭の警馬隊は、火縄式鉄砲をも担いで出るほどだが、江戸時代とかに鉄砲隊が加わっていたか興味が尽きない。鉄砲まで出ていたなら、藩主の力添えが大きかったと思う。尾張・三河地区には、棒の手という武術が残っており、農民も武芸を好んだ気風はあった。
馬は元々、神社に献じる事例があったが、後世に絵馬として本物を献じる代用になったことは周知である。神の使いでもあった馬は、白馬が祈晴、黒馬が祈雨の呪術性をも持っていた。この米野木では、早駆けの際には馬輪と呼ばれる太鼓踊りのシナイを付けて駆ける。五色から成る馬輪は、むろん陰陽五行に準じている。早駆けも、警馬隊の度胸試しと、馬が元気であることを神様にご覧頂く意味がある。
いづれにせよ、大変に素晴らしいお祭りであった。

※米野木の皆様、そして行事を教えてくれたS根氏に感謝申し上げます。

上左右写真;巡行前の東西の神馬。

上写真;午前7時半。準備万端。巡行の開始だ。

上写真2枚;東西の神馬が警馬隊に守られて、祓所に禊に到着。

上写真;巡行に町内を駆ける東組。

上写真6枚;町内の家をまわる。住民は奉納をおこない、記念写真の撮影だ。

上写真3枚;米野木神明社への参道坂道を、駆け上がる。

上写真2枚;境内周囲の馬場を行く。右写真は、子供お神輿で、馬輪を戴いている。

               上写真6枚;早駆け。

上写真2枚;お百度参りに警馬隊の若衆が境内を走り、お賽銭を投げ奉納していく。


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Last Updated  2011-10-19