■撮影場所&日; 熊本県阿蘇市一の宮町宮地、 平成24(2012)年7月28日 |
阿蘇山の外輪山の内側の阿蘇谷は宮地に、阿蘇神社が鎮座されている。主祭神は男神の健磐龍命であり、そして女神の阿蘇都比命をはじめとした十二神である。主祭神の健磐龍命は神武天皇の命を受けて、九州の開拓に訪れた。そして阿蘇山の火山湖の水を流して農業の繁栄に尽くされたという。いわば火山の火を制し、水を制し豊穣をもたらされた、いわゆる山と田ノ神の性質を併せ持った神徳の神様である。 十二神はいづれも一族神である。 その農耕的な神徳の神々が、四基の御神輿にて二箇所の御仮屋へ神幸(巡行)されるのが、「おんだ祭(御田植神幸式)」である。 27日に前夜還座祭を経て28日が本祭の献幣式・御田植神幸式で、29日が翌日祭・後夜還座祭である。私が奉拝・撮影させて頂いたのは、28日である。 神社を出た神幸行列は猿田彦(面)を先頭に、前駆神職・五色絹・鷹持・宇奈利・赤黒獅子・早乙女・田楽・田男&田女人形&牛頭人形・幣・鉾・神輿・神職 などで総勢約150人にもなる。 その行列は、最初に一の御仮屋に向かう。御仮屋とは、御旅所とか若宮と表現すれば分かりやすいだろう。その御仮屋において御神饌を御神輿に献饌し、祭典を斎行される。その後、御仮屋の境内に祭員が円陣で固まった周囲を四基の御神輿がグルグルと回る。そして参拝者が動く御神輿に稲束を投げるのだ。そのことを「御田植え」と称しているが、御神輿の屋根に沢山乗った方が豊作になるのだという。つるつるの屋根に投げても、そう簡単に乗るものでもない。一種の卜(占い)である。この御田植えは、二箇所の御仮屋と、神社へ還座して宮巡りをした後の都合、三回行われる。神威の更新を繰り返すことにより、豊穣をより確かなものにするのである。 さて、神様は四基の御神輿に、どのように遷られるのであろうか。健磐龍命が一番目の御神輿に。阿蘇都比命が二番目の御神輿に。三番目の御神輿には男神の3・5・7・9の四神と国造神そして金凝神の六神が乗られる。四番目の御神輿には、女神の4・6・8・10の四神が乗られるのである。 御神輿で神幸される神々は十二神であるのに、なぜ唐櫃を頭上運搬する宇奈利は14人なのだろう、、、。それは水ノ神と火ノ神を合わせて十四神だからである。 ここの御田植神幸式の最大の特色は、全身白装束で目だけを出した宇奈利と称する女性によって、御神饌が頭上運搬されることであろう。 実は献じられる御神饌は現在では行列が到着する前に既に御仮屋に運ばれており、撤下された御神饌が唐櫃に納められて宇奈利によって運ばれるのである。献饌される前の御神饌がさりげなく運搬されておりながら、撤下された御神饌がより大切に頭上運搬されるとは、どう考えたら良いのだろう。神威の憑いたパワーの源として、撤下後の御神饌の方が重視されるのだろうか。。。撤下後の御神饌を重視するのは、湖北のオコナイの例があるが、神社本庁系の祀りでは珍しいと思う。
28日 おんだ祭 (御田植神幸式) の時間配分は、下記の通りである。 |
上写真7枚; 御神饌を頭上運搬する、宇奈利 |
上写真7枚; 神幸行列の祭員。 宇奈利・赤黒獅子・早乙女・田楽・田男&田女人形&牛頭人形・幣・鉾・御神輿など。 |
上写真; 御仮屋での祭典。四基の御神輿前の、高杯に御神饌が並ぶ。粽・餅・昆布・まんびき(シイラの干物)・海苔・するめ・山芋・いくり・茄子の九皿である。 |
上写真; 一&二の御仮屋、および還御後の宮巡り後にも境内で御田植が行われる。御神輿の屋根に稲束を投げ上げることを、御田植という。 |
上写真左右; 神社に戻って還御門から境内に入った行列は、一と二の本殿(神殿)と外殿(三の神殿)の周囲約300mを、12周まわる。 これを宮巡りという。十二神の数だけ回るのであるから、そのことをもって神々を社殿に還座したもう儀式なのであろう。 |
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Last Updated 2012-10-19