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No.70 神祭 板の魚 (石持魚神事) 大賀神社
■撮影場所&日; 三重県度会郡南伊勢町相賀浦、 平成24(2012)年11月17、18日

現地で「神祭・板の魚」と称される おまつり には、多々興味深い点がある。
大賀神社の宮守を兼ねた当屋制が存続していること、御神饌に供えられる大きな魚の膳の存在と儀式。
そして祭典後に拝殿前で行われる当屋交代の儀式、およびシンボルの存在とその頭上運搬である。
祭典は宵宮と本日の2日間斎行されるので、奉拝撮影させて頂いた。

(相賀浦のK区長様はじめ皆様に感謝申し上げます。)


■ 宵宮

社務所において、お清めの儀が斎行される。儀式の中では巫女による浦安之舞の奉奏も行われる。
そして特筆すべきは、室内でなんと湯立神楽が行われる。両手に笹を持って湯立てを行うから笹踊りとも云われ、社務所外に置かれた湯桶に笹を浸して「海は大漁 陸は万作 村繁盛!」 と言いながら、四方八方へ湯を振りまくる。舞は新旧の当屋4人が順に舞う。
舞う時には上記の唱えごと以外に、各種の魚の名称を言ったりするのが、いかにも漁業処という印象である。
その後に直会となるのだが、肴は鯵の干物である。塩味のアジを焼かずに、そのままかじるのだが、それが至って美味かった。


■ 本日 (祭典)

祭典は通常の祭式次第にのっとって斎行されるが、特筆すべきは御神饌の特殊さである。御神饌は魚が6尾である。
奉献する御神饌を石持魚と称するが、板の上に乗せられることから通称「板の魚」と呼ばれている。
板は一枚に全て乗せられるが、分類としては一の膳から二の膳、三の膳に分けられる。
一の膳は20〜25Kgのトンボシビで、10月20日前後に塩漬けにされる。 二の膳は8〜10Kg
のカツオでやはり塩漬けにされる、 三の膳は1Kg 位のタイである。タイは塩漬けにされない。
膳はお供えされる前に 「検分」 として、組頭2人が塩加減も良好そうだ、などと言いながら拝殿前の神職や氏子衆の前で評価していく。
神事後の撤下時には、本殿から下げられて社務所前まで一気に運ばれていく。そして捌かれて、氏子衆など参拝者に配られる。撤下された膳が走って下げられるのは、神前に供えられたことで神威の憑いたパワーを温存したままで氏子衆らにパワーを分け与えようという儀式なのであろう。

上; 神社より当屋へ神職さんらが向かう。

上写真2枚; 当屋さん宅において、社参前の出立之儀が行われる。

上; 当屋さん宅から神社へ社参。先頭は氏子総代さんである。

上;  献饌前に一、二、三之膳の検分が行われる。

上; 浦安之舞の奉奏。

上; 御神饌、膳の撤下で、社務所へ急ぐ。


■ 本日 (当屋交代の儀式)

当屋は宮守としての務めも行うが、その大役、昔は本家株の家に限られ、新株・半株のものは奉仕する資格が無かったというほどの資格であった。彼らには「当屋場」という一等の魚場が与えられ、村の集会などには上座に据えられて村の使役は免除された。
当屋は5軒が一組で、その中から大当屋・小当屋が順番に選ばれる。そして3軒が脇当屋として補助をする。一年交代の当屋、交代の儀式では旧当屋が上座に座し、新当屋が下座に相対して座る。間には「御山(おやま)」と称されるシンボルが置かれる。儀式では盃の儀が行われ、旧当屋が俗称「親椀」で御酒をいただき、次に新当屋が 「村繁盛大漁のあるよう受け取らせてもらいます」 と挨拶して戴く。
そして新当屋の奥方が、シンボルである赤飯の上に伊勢海老の乗った通称「御山」をヨコマかごに収め、頭上に乗せて(頭上運搬)境内から社務所へ下がる。社務所からは天秤棒で担ぐかたちで当屋宅まで下がっていく。
さて、大賀神社の御祭神は 八王子、水蛭子神そして天照大御神である。天照大御神はあるいは明治以降に付加された可能性もあるが、重要なのは八王子と水蛭子神であろう。八王子は祇園信仰では牛頭天王の王子らで、牛頭天王が大海の中の龍宮に后を探しに行ってめとった後の子である。そして水蛭子神は海に流された後に漂着して神となった経緯がある。つまり八王子も水蛭子神も海という異界からの来訪神である。海辺に暮らす人々が、幸をもたらしてくれる神が 海の彼方から祝福に来てくれると考えることは当然であろう。
しかし、それでは「御山(おやま)」と称される当屋交代の儀式に中央に置かれるシンボルの何故?の疑問は解けない。つまり「お山」とは単なる形状を差した名称なのか? なぜ「お山」を男性の新当屋本人ではなく、奥 様が頭上運搬されるか?という疑問点が出る。
南勢町誌によると、昔 ヨコマ篭に生魚・干物等を入れて女が山方の村落へ持って行って米・麦その他穀類と交換した縁起で この神事の習慣がある、との口伝を記してある。 しかし相 賀浦の女が山方村落へ運んだ往路は海の幸であり、復路に山の幸が運ばれてきたはずである。
相賀浦の産は海の幸であるから、村としての当屋のシンボルは祭典と同様に海の幸だけでいいはずである。女性が海と山の往来をした故事を何故このような儀式で模さないといけないか、意味も不明である。しかし現実には「お山」には、米と魚といういわば陸(山)と海の幸の融合が起こっている。 ここで考てみるのは、大賀神社にお供えする儀式での御祭 神と、当屋の交代のシンボルの神性を別と考えることである。
海の幸・山の幸から連想するのは、日本書紀・古事記における「海幸彦(火照命)」「山幸彦(火遠理命)」の名前と逸話である。山幸彦は海幸彦から借りた釣り針を失くしてしまい、大海の綿津見ノ宮(龍宮)へ旅立つ。そして龍宮の后を妻に迎えると共に、水を司る呪力のある珠を手に入れる。つまり御祭神の八王子同様、海が関係しているのが海幸彦・山幸彦である。山幸彦命が手に入れた珠は海も山をもシンボライズするパワーの源であり、その逸話の象徴として「お山」に海の幸と山の幸が融合しているのではないかと(邪道ながら)推察するのである。
では奥様が頭上運搬されるのは? 当屋交代の象徴なら、当屋である男子その人が頭上運搬されても良いはずである。しかし女性がされるのは、実は神様を迎える巫女としての役割ではないかと思うのである。この頭上運搬される儀式がいつから行われているか不明である。あるいは江戸時代くらいからかもしれない。それでいて、もし神迎えの巫女としての役割をされているというのなら、奈良時代以前の古き時代の巫女の姿を知らず知らずに再現されている訳で、大変に興味深いことと云えよう。奥様が巫女であるなら、当屋の主人は神迎えの宿の責任者あるいは神託を巫女から聞く神職という立場であろう。
この「お山」はかつては披露後に村の全戸に配られたというから、よほど大きかったのだろう。今では親類に配分されている。
  大変に素晴らしい おまつり であった。


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Last Updated  2013-01-21