■ 奈良県五條市東阿田・八幡神社および集落内、 平成26(2014)年10月 撮影 奈良県の一部の地域に、まつり の時に『お仮屋』なる簡易社殿を設営することがある。 常緑樹を組み合わせて設営し、「神迎え」の時に産土社から御幣や榊に神うつしして、お仮屋にそれを差して神様をお迎えする。そのお仮屋は宮座制度(村座)によって順番に家長に周ってくる。それは当家(頭家)と呼ばれ、当家の庭にお仮屋は建てられる。東阿田では9月28日にお仮屋を建てると、その日のうちに神様を八幡神社に迎えに行く。そして まつり当日の10月19日まで3週間、神様は当家の庭先のお仮屋で過ごされる。まつり当日にはお仮屋の前で通常の祝詞奏上後に御幣が抜かれ、行列を組んで八幡神社へ神様を神送り(還御)する。 あらましとしては上記のようであるが、祭典自体は一般的な神道祭式次第に準じて行われる。御神饌は一般的な御神饌以外に特別な御神饌が供えられる。七つ御膳と云って、串に柿・餅・かきまめ・柚子・栗・茄子を差したものは、社殿の屋根の上に並べられる。 そのような特殊な御神饌は伝承されているが、まつり を拝見すると、かつての姿を簡略化したり変化していると思われる点がある。簡略化では外見的な服装だけでなく、頭渡しの儀式が無くなってしまっているのは残念である。変化しているのは、一応お仮屋の設営は、 順番に当たった当家の自宅の庭で行われるものの、その儀礼とは別にコミュニティセンターを出た子供お神輿が集落内を巡ることである。お神輿とは神霊ののる乗り物なれば、神うつし無しにお神輿が集落内を動くのはおかしい。神霊はお仮屋にましますからである。が、この点は硬いことは云うまい。お神輿が子供の楽しみになっても、神様はお仮屋から眺めて微笑んでらっしゃることだろう。 さて、お仮屋の存在を、「神社の常設の社殿ができる前の祭祀形態を示すもの」という説もある。この説に準ずれば、お仮屋は仏教伝来頃まで遡ってしまう。が、これは間違いであろう。お仮屋は、里宮あるいは本宮と云ってもいい神社の「お旅所」的な存在と考えれば、一時的な仮社殿で十分だからである。歴史的には宮座の成立した近世まで遡れれば十分のように思う。ともあれ神様は本宮から一年に一回、秋に氏子が神恩感謝する饗応に応じるため、本宮から氏子の家に遊びにいらっしゃるのである。氏子は神様に感謝するため、毎年新しい別宅を庭に設営するのである。秋に行うのは、米の収穫後の感謝のためであるのは周知の処であろう。 この祭典の興味深い点は、珍しい御神饌にあらず。お旅所(※)を宮座の当家の庭に設けてしまうことであろう。 (※)お旅所は、神様の降臨された場所を指す場合があるので、厳密にはこのお仮屋はお旅所ではない。神様が旅に出るという意味で広義にお旅所と表現した。 東阿田の皆様に感謝申し上げます。 |
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上写真;還御の列。先頭の年輩男性が塩を撒いて清めながら進む。 |
上写真;祭典の宮司さんの前、本殿の屋根には 七つ御膳と呼ばれる御神饌がみられる。 |
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Last Updated 2014-11-22