■ 岐阜県飛騨市(飛騨古川)、平成30(2018)年1月15日 撮影
※下記キャプションは、昨年のUP(日本!〜No.83)とほぼ同文 飛騨古川の街中に、浄土真宗西本願寺派のお寺が三カ所ある。円光寺・真宗寺そして 本光寺である。浄土真宗の宗祖親鸞聖人は承安三年四月一日に生れ、弘長二年十一月 二十八日に入滅されている。この日をグレゴリオ暦に換算すると、1173年5月21日〜 1263年1月16日となる。このグレゴリオ暦に合わせた毎年1月9日から16日まで、聖人 の御遺徳を偲びながら聞法にいそしむ御七昼夜の行事が行われる。特に15日の晩は宗 祖が御往生の前夜として、各お寺に於いて徹夜の読経や説法が行われる。この三カ所 のお寺をお参りする行事は200年ほど前から行われており、それが伝統的な「三寺ま いり」と呼ばれるようになっていた。明治大正の頃には諏訪などへ糸引き奉公などに 出ていた娘さんが一年奉公を終えて帰省し、着飾って行事に参加したという。この地 での小唄に ♪嫁を見立てて三寺まいり♪ とあるように、行事に参加することで男女 の出会いが有ったという。現在の「三寺まいり」では、瀬戸川に並ぶ通称 千本ロウ ソク では出会いを願って白いロウソクを立て、願いが叶った翌年には赤いロウソク を立てるという。ロウソク自体は「三寺まいり」をする民の便宜を図って街中に立て られたというが、現在では一種のロウソク祭りの如く、街中には無数のロウソクや灯 籠で幻想的な雰囲気となっている。高さ2mもの巨大なロウソクも通りに立つが、こ れは雪を固めた雪像のロウソクである。 さてさて、、、1月15日に行われるとは、親鸞聖人入滅の日を西暦(グレゴリオ暦) に換算して行われるのである。200年前の行われ始めた頃には旧暦が使われていたの だから、11月28日前後に行われていたのだろうか。その点は不明である。娘さんが出 会いの場となった頃、つまり明治大正期には既に西暦が使われていたのだが、入滅の 日が1月15日というのは奇しくも旧正月に一致する。奉公から地元に戻って来ていた 娘さんは、お正月というよりも小正月に合わせて戻ってきていた可能性がある。まつ りに関し「お祭りは 先祖の血筋 切らぬため」 という川柳(※)があるらしいが、 「三寺まいり」は地元で多いであろう浄土真宗の行事と祭りの真意が、まさに一致し た行事であると云えよう。(※)池田弥三郎著『性の民俗誌』(講談社学術文庫) 今回、「三寺まいり」は2回目の訪問であったが、素晴らしい時を過ごすことができ ました。関係の皆々様や着物のお嬢様らに感謝申し上げます。 (UPさせて頂きまし た女性は市公認と許可を頂きました方が9割ですが、不都合の場合はご連絡下さい。) |
■ 現場に居合わせた人たちと即席の「追っかけ軍団」が構成され、この女性を追っ かけ撮影させて頂いた。最後は悪ノリしてリクエストした ハート にも応じて頂き、 感謝です。ありがとうございました。 |
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Last Updated 2018-01-22