■ 平成29(2017)年9月9日 京都市左京区鞍馬貴船町、貴船神社 |
貴船神社本宮および奥宮の御祭神は共に高龗神(タカオカミノカミ)である。下記のことから
奥宮が元宮で、本宮が里宮というべきである。その二社の間に結宮が御鎮座し、御祭神は磐長姫命である。
添付写真上の上は、貴船神社奥宮。 |
貴船神社本宮において九月九日、「菊花神事」が斎行される。9月9日は「重陽の節句」の日で、それにちなんだ祭典である。
重陽の節句は、 年間の五つの節句の年間最後の節句である。いわゆる「五節句」といって中国の暦を参考に5つの節句がある。すなわち人日(じんじつ)(正月7日)・上巳(じょうし;3月3日)・端午(たんご;5月5日)・七夕(しちせき;7月7日)・重陽(ちょうよう;9月9日)である。奇数瑞祥の考えから、奇数数字は陽(ハレ)で 偶数数字は陰(ケ)であるから、9月9日は陽が重なる、すなわち重陽
である(他の月も重なるが?)。 この重陽の節句の日、不老長寿の霊花である菊をあしらった祭典が貴船神社の「菊花神事」である。 巫女さんは前天冠に菊を挿し、採り物に菊、拝殿にも菊や「菊のきせ綿」を供物にするなど、菊づくし である。巫女さんは上記の姿で 豊栄之舞 を舞われる。 昨日の拙ブログで貴船神社と能【鉄輪】について書いた。 現在、「菊花神事」においての祭典は、通例の祭式次第で斎行される。ではその祭式次第が制定される前、特に明治以前の貴船神社においては祭典や祈祷はどうであったか? という興味が涌く。残念ながら浅学ゆえ、明治以前の様式についての資料を持たない。あるいは能【鉄輪】の出来た頃のように、調伏が行われていたか否かは想像の域を出ない。 ちなみに巫女による神憑りや託宣が禁止されたのは、明治6年の「巫女禁断令」によってである。裏返して言えば、それまでは巫女は託宣を行っていたということだ。その禁断令以前の巫女の装束はどうであったろうか? 現在では巫女は緋の袴をはく。民俗学者の小松和彦氏が述べておられるが、赤は〈逸脱〉を表す色だという。そう云えば、閻魔大王も鬼も赤い姿で描かれる。巫女の上半身が白で 下が赤は、半分だけ聖で、半分は この世を逸脱した姿なのだ。すなわち半分は神か鬼の世界に浸かっているのだ。 貴船川を挟んだ東側の山は、鞍馬である。能だと【鞍馬天狗】に描かれているが、鞍馬寺に幽閉された牛若丸は僧正ヶ谷の天狗から、平家打倒の兵法を授かる。鞍馬には天狗、そして貴船の祭神は鬼国の娘で社人は鬼の子孫という、この一帯は都の北に位置して鬼や天狗の住まう恐ろしい異界であったのだ。 上記において、呪詛は結社の磐長姫命由来の考えでないかと書いた。それとは矛盾するが、祭神とは 関係なく、恐ろしい異界に身を籠らせることで怨念を生霊と化して呪詛を成就させるには、この辺りのロケーションだけで充分であったのかもしれない。
添付写真上の上、上の左下; 貴船神社「菊花神事」。 |
重陽の節句の日の貴船神社における『菊花神事』では「被せ綿」が奉じられる。 御景物としての「被せ綿(きせわた)」が供物に有るのが珍しい(添付写真上)。 御祭典において「被せ綿」は他の御神饌に先立ち献饌時に献じられる。 重陽の節句は「九月九日の宴(節会)」において、菊を浮かべた菊酒を賜ったりもするが、宮中に おいてこの「被せ綿」は一種の呪具として用いられた。呪具は広意において、まじない(呪)の 道具という意味である。 書籍『有職故実』をみると、「この綿で顔や、その他の体の部分を拭うと老いを拭い去ることができて、仙境に咲くと云う菊にあやかって、長寿延寿に効能がある」 と記載されている。今で云う、アンチエイジングである。物は違えど、現代でも長寿延寿に効くという眉唾物のサプリメントや道具が出ているが、そのルーツの一つが「被せ綿」である。菊に綿を被せて、その綿を使うのである。 能【 菊慈童 (枕慈童)】という「菊の霊力」が主題の曲が有る。 この能の話は・・・霊水が出るという霊山を訪ねた勅使は、何百年も前の王に仕えたという童に出会う。訊ねると、王から賜った言葉を菊の葉に書くと、その葉の露が霊薬となり、それを飲んだ童は700年も若々しく生きながらえた、という能である。能楽だが、この能の舞台は中国である。 不老不死の仙境の話であり、この能もそして「被せ綿」も道教の仙道呪術の世界を現している。 貴船神社の祭典において、平安時代宮中におけるアンチエイジングの呪具である「被せ綿」が登場する とは、まこと興味深かった。
添付写真上の上、上の中; 菊花神事において、「被せ綿」を奉じる。 |
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Last Updated 2017-09-27