鳥取県境港市竹内町、 平成24(2012)年1月 撮影 オコニャ と現地で呼ばれる。 滋賀県のオコナイをこれまで探訪してきた。同様のオコナイが他府県にも存在するらしいことは分かっていたが、今回は鳥取県の境港市で「オコニャ」を拝観させていただいてきた。 オコニャ(オコナイ講、薬師講とも呼ばれる)では、先祖供養と一族および町内安全国家安泰を祈願して大鏡餅の奉納が行われる。 オコニャは講元というオコナイの中心となる家が十五軒あり、その各講元の下に講内という血族や分家筋が列なっている。 先講元の家で僧侶によって先祖供養が行われた後、大鏡餅の行列が大同寺に向かい、そこで読経・大般若経の転読が行われる。その後に新講元の家で大鏡餅開きが行われ、十五に細分された大鏡餅が各講元に配られる。この講元は順番が決まっており、籤などで決まるのではない。大同寺では正福寺の僧侶も読経されるが、これは境港市のオコニャを江戸中期に正福寺が統括するようになった経緯からという。かつては境港市の竹内、高松、福定、中野、境港など五箇所で行われていたらしいが、今では竹内町が唯一オコニャを伝承されている。 ここ、境港市竹内町のオコナイには、興味深い独自性が見られた。 まず、大鏡餅は二枚重ねで松の割り木で十文字にして縄で結んで吊るす(滋賀県では、甲南町市原が同様のスタイルである。)。その大鏡餅には正面に「南無薬師如来」、裏に「竹内 安全 国家安泰」「無病息災 竹内町安泰 交通安全」と墨書きしてある。この墨書きは僧侶がされるのではなく、事前に講元で記される。 その大鏡餅を仏壇にお供えして、先祖供養の読経がされるのは、注目に値しよう。大鏡餅はお供え物としてだけでなく、薬師如来そのものであったり、または祖霊であったりと、複合的側面を併せ持っている。大鏡餅が何故に祖霊なのか、乱暴を承知で一言で云うなら、祖霊は御餅である穀霊と同一視されることがあるからである。穀霊である野神が還る山中異界が祖霊が還る場所と同一視されることから、あるいは祖先の加護によって与えられる恵と考えられるからでもあろう。つまり豊穣祈願の穀霊の宿る大鏡餅が、実は祖霊と同じと考えられるのである。先祖供養を行うことで祖霊への感謝と鎮魂をすることは、一族および町内ひいては国家の安寧と繁栄を祈願することに通じるのである。竹内町では、その供養と祈願の重責を十五の講元が順番に代表して行っている。 大鏡餅は二枚重ねであるが、この重なったスタイルは鏡餅のもう一つの本質である祖神たる蛇のトグロを巻いた姿を象徴しているとも、考えられる。竹内町の大鏡餅には、国家安泰の墨書きが見られる。オコナイの歴史の発端は、仏教寺院の新年年頭に際して僧侶が罪障を悔過して読経修法によって天下国家の招福除災、五穀豊穣を期する修正会・修二会と思われること。これらのことから、竹内町のオコニャは、たいへん古来からのオコナイの本質を温存していると思う。 素晴らしいオコナイであった。 ※竹内町の皆様にはお世話になりまして、感謝申し上げます。
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上写真2枚;講元宅にて、先祖供養。 |
上写真2枚;講元の家から、大同寺へ。 |
上写真2枚;大同寺において僧侶の大般若経の転読。 |
上左右写真;新講元宅にて、鏡開き。15に開き、ハナの木の枝、ウツギの木に南無薬師如来の札を供える。 |
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Last Updated 2012-02-13