島根県松江市秋鹿、 平成24(2012)年2月撮影 島根県松江市秋鹿に、「おもっつぁん(御餅さん)」と呼ばれる御頭行事がある。 運び型枠と大鏡餅を合わせて130Kgを、高祖寺の背後の山上の大日堂に上げ、そして下げてから集落を周ってから鏡開きをするのだが、一度昭和39(1964)年に中断後、昭和53(1978)に復活した。かつては「本谷本頭」「井神本頭」「井神別当」「井神御祈」「山中本頭」「本谷山中御祈」の6枚の大鏡餅が山に上がっていたが、復活後は「本谷本頭」「井神本頭」そして「子供御鏡」の3枚である。しかしながら様式や儀礼は、かつてのままで伝承されている。 ここの御頭行事の特色は、山上に上げる大鏡餅が夜に上がる時よりも、昼間に下げる時に担ぎ手が上半身裸で山道を駆け下るなど、勇壮なことである。まさに“見栄え”するのであるが、むろん見栄えだけでそのような儀礼が行われることはない。 その理由について、高祖寺の住職であられる山根章道氏が詳細な分析をされてHPにUPされており、その考察を参考にしながら拝見した所見を書いてみたい。 山根氏は、この「おもっつぁん」の儀礼について、陰陽五行説を参考にされながら考察されている。乱暴を承知で一言で結論を書くなら、山上に上げられた御鏡餅は大日堂という母胎(子宮)において祖霊または太陽神として復活し、祝福に集落を周る行事であると述べられている。氏は御霊(みたま)と先祖の霊を書かれてらっしゃいますが、怨霊を御霊(ごりょう)と表現することもあるので、拙HPでは祖先の霊は祖霊と書かせていただく。 山根氏は、「おもっつぁん」行事において祖霊が母胎(子宮)である大日堂から復活していくまでを、陰と陽および陰陽の合一で表現されており、簡略化して下記に記してみた。 〈陽〉 魂=米=生産=女=母胎=正面=昼=童子 〈陰〉 魄=朔日=海=力=男=裏=夜 大陰の日に大陰の数の餅米で男によって搗かれた依代たる大鏡餅が夜に上げられる。陰の組み合わせで構成されている。 大鏡餅下ろしは、童子(陽)の大日堂への走りこみで陰に陽が触れたことで陰陽(魂魄)合一が起こり、陰である裏口から陽である外界に出る。 山上の大日堂に上がってから山を下るまでの過程を、再生・出産の見立てとして、「子宮着床」「胎動」「陣痛」などと表現されていらっしゃる。 上記のような祖霊の復活・出産の見立てとしての「おもっつぁん」という考察には、ただただ感服するしだいである。正月行事で、お正月の先祖の霊が民の元を訪れるという歳神的な要素も入っており、その古い祖霊信仰に儀式の方式として後に修正会の行法を行うようになったともいう。 確かに山上異界にひっそりと夜に入り込み昼に出産・復活する大鏡餅は、本来は秘するべきシーンであったかもしれない。そして誕生してから大鏡餅が集落を周るまで、集落民は固唾を呑んで待ち、祝福を受けたのが古来の姿であったろう。その出産シーンが大日堂の裏口から大鏡餅が出ることからも、彷彿される。陰陽の世界観でもそうかもしれないが、もともと出産とは忌むべき穢れであった。産小屋を設ける例もあるように、生死の境の出産は、死と同様な穢れであったのだ。穢れが表口から起こるはずがない。 大鏡餅飾りが大日堂の梁から下がる姿を山根氏は、昔の人が考えた魂の姿であると述べられている。島根県では、歳神が腰蓑を巻いてやって来るという伝承もあり、あるいは歳神の姿そのものかもしれない。 このように祖霊あるいは太陽神の復活・出産の見立てと考えられる御頭行事、大鏡餅の考え方が湖北(滋賀県)のオコナイとは違う。 湖北のオコナイにおいて、大鏡餅を下ろすことの方が重視する集落は無い。大鏡餅は祖霊あるいは神仏の神威・仏威が憑いたパワーの塊であり、そのパワーを戴くことで神仏の御加護を受けて、なおかつ集落民の絆と固めるのが近江のオコナイである。であるから、絆の証としてオカワという大鏡餅の型枠を神聖視する集落も出てくる。「おもっつぁん」において、オカワのような集落内の絆の証のようなシンボライズされたものは無い。「おもっつぁん」はオコナイであるかもしれないが、近江の湖北とは異質と云えよう。 私が関心が有ったのは餅降ろしだけでなく、餅下ろし前に大日堂内で行われる祭事の「座敷」である。 大日堂に高祖寺住職が到着されると、「座敷」と呼ばれる祭事が行われる。この祭事は、書籍『神去来』(石塚尊俊:慶友社)では御餅が山を下った後に行われているのだが(後座敷)、昭和53(1978)年から下る前に行う前座敷に変更になった。 この「座敷」では大日如来はじめ諸仏に祈願が行われる願文が読み上げられる。願文が読み上げられると餅降ろしに奉仕する講員は、手に持ったウツギの木の枝で前の飯台をバチバチと叩く。これを 牛玉打(ごおうだ) と いう。この 牛玉打 について高祖寺住職の山根様は、 “祈りの言葉が間違いないことに対する 穀霊、生土(産土)からの返事であり その返事を受けることができるからこ そ この祭事の祈りが成就する” と述べておられる。 牛玉打 と、この打って音を立てる所作の名前が付いているが、いわゆる乱声であろう。乱声と云わずに牛玉打という名称になっているのは、牛玉宝印が誓約が正真正銘であり、信仰心に偽りなき誓約を意味したからであろう。まさにこの場合の乱声は、大日如来はじめ諸仏に対する信仰心の証明を意味しているわけである。 しかしながら広く 乱声 の意味するところをみて行くと、必ずしも「おもっつぁん」の 牛玉打 のような意味だけでなく、大きな音をさせて神仏の覚醒を促し神仏の威力の発動を即すものであったり、あるいは悪霊や疫神を祓う意味で行われる例もあれば、それらが複合して行われる場合もある。静岡県島田市の智満寺の鬼払い では激しく床を叩く大音響が締め切った真っ暗な本堂内で10分近く続く。これも悔過の効果を高める修正会の有り様である。そして長野県の新野の雪祭り では、激しく板の壁を殴打して騒乱的な音を鳴らすが、里神楽において異界の存在の出現を促す感覚の麻痺を起こさせる効果がある。オコナイにおいては甲賀地方ではやはり板を叩く乱声があるし、湖北では延勝寺において壁を叩く所作がある。 しかし「おもっつぁん」の 牛玉打 に話を戻すなら、この行為によって祭りを行うことが叶うか仏意を伺う意味もある。実は、その点が伊勢神宮内宮において三節祭(月次・神嘗)における 御ト(みうら)に通じるのが 大変に興味深い。御ト において祭主・大宮司以下祭員が祭庭において、祭儀の奉仕に適うか神意を伺う儀があるのである。この時も、勺で琴板を叩いて音を立てる。 話は飛躍するが、伝統芸能においても 乱声 は存在する。 雅楽・舞楽の新楽乱声、高麗乱声そして陵王乱序(声)などなどである。清める目的の奏楽や、異形の存在の出現前の楽奏などである。 このように 乱声 をみてくると、下記のような図式を思いついた。右に行くに従い、芸能性が高くなる。 神宮御ト⇔おもっつぁん牛玉打=オコナイの乱声⇔新野雪祭り乱声⇔雅楽・舞楽の乱声⇔幽霊登場映画効果音(ドロドロドロ〜) ところで「おもっつぁん」において 牛玉打 は、大鏡餅(おもっつぁん)が山を下る前に現在は行われており、昭和53年以前には大鏡餅が下りてから行われていたらしい。しかし 牛玉打 の意味を考えれば、本来は現在の様に大鏡餅が下りる前に講員が誠意を示す形が正しい姿であったのが、いつのころか逆転し、また本来の姿に戻ったように思えてならない。 ※ 秋鹿の皆様には大変お世話になりまして、感謝申し上げます。 (参考HP) 高祖寺住職 山根氏HP ⇒ http://www006.upp.so-net.ne.jp/kosoji/oomoti/oomoti080211.html |
上写真;御鏡をカズラの木などで固定し、餅飾りしやすいように仕上げる「餅がらみ」。 |
上写真2枚;夜、ひっそりと山上の大日堂に「餅上げ」する。 |
上写真2枚;母胎である大日堂に着いた御鏡は、ハナノキなどで荘厳される。 |
上左右写真2枚;大日堂結界に神葉を立てる。講員は結界に入る時に、潮で禊した証に神葉を耳に掛ける。 |
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上写真;大日堂の裏口から出る前の堂内では、「カズラ締め(胎動)」、「稽古荷ない(陣痛)」が行われる。 |
上写真4枚;大日堂の裏口から出た(再生・出産)した祖霊は、魂の蠢動激しい様を表現するよう、猛烈な勢いで山を下り、集落の民が待つ間を祝福に訪れる。 |
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Last Updated 2012-02-13