撮影場所&日;滋賀県大津市下阪本、酒井・両社神社、平成21(2009)年1月10&11日 撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm 「おこぼまつり(御講坊神事)」; “おこぼ”というと舞妓さんの高下駄を連想するが、山一つ越えれば京とはいえど、舞妓さんには関係ない。漢字では「御講坊」と記されたりするが、語源は不明である。あえて民俗儀礼のジャンルに分類するなら、御餅を住民が献饌に社参し、餅を重視する甲賀・湖北地方に分布する『オコナイ』の行事とも考えられる。しかし現地での人々の反応では、『オコナイ』という認識は薄いようであった。確かに他のオコナイと全く異なるのは、“オダイモク”と呼ばれる円筒状の御餅の上や前面に並ぶ人形の存在である。他のオコナイで、このように御餅に人形が随伴する例は無いだろう。人形の存在の由来については、二説ある(※)。 琵琶湖の瀬田に住む龍神が下阪本の両社川を遡って来て、毎年七歳になる少年を人身御供として攫っていった。そこで童の肉体の代わりとして人形と餅を奉げるようになった、という説。もう一つは、日吉神社への道にあたる酒井神社・両社神社の氏子は、厳しく慎み清めの生活を要求され、それが雛人形の原型ともいう人形(ひとがた)の形代(かたしろ)に穢れを託して浄化した、という説である。上記の二説は大変面白いが、人形の種類は多種多様であるのが不思議である。添付写真の氏子域(南酒井)が奉じる人形は、武者・尉と姥・布袋人形(合点さん)などであり、北酒井や両社神社の氏子域ではまた異なった人形である。人身御供の代用であるにしては、かなり風流化している。添付写真の南酒井の人形は、享保(1716〜1736)年間の人形であるが、もし人身御供の代用であるなら、もう少し風流化しない具体的な童像などで良いように思う。風流化する以前には童像が有ったのかどうか、文献(※)には記載が無い。 私的な感想は、龍神の出現とは水害を意味するのであり、水害で亡くなった人々あるいは子供らの鎮魂供養のための、あるいは御霊信仰が村内安全を祈願するオコナイ行事に習合したのだと思うのだが、いかがであろうか。 この「おこぼまつり」は酒井神社の氏子域(南酒井・北酒井)と両社神社の氏子域で同日に行われる。 南酒井ではオダイモクは三軒の頭屋さんのうち、一軒の“ヤド”と呼ばれる民家に準備され、宵宮に宮司さんを招いて「降神の儀」が斎行される。北酒井ではオダイモクは酒井神社社務所に準備され、「降神の儀」だけ民家で行われる。両社神社氏子域では、オダイモクと「降神の儀」は社務所で斎行される。 「降神の儀」は宵宮の夜に、そしてオダイモクの宮入は本日の午前6〜6時半。「湯立祭」「本祭」が午前8〜10時に斎行された。 いづれにせよ、たいへん興味深い行事であった。 今回は撮影にあたって、宮司様はじめ氏子様皆様に大変お世話になり感謝申し上げます。 (※) 大津市文化財調査報告書(4)【おこぼまつり】大津市教育委員会発行(昭和50年) 《他の参考書籍》 【神々の酒肴 湖国の神饌】中島誠一・宇野日出生(思文閣出版) |
上写真; 酒井神社の南酒井の氏子さんのオダイモク。オダイモク(御餅)の上に、左から松と尉と姥。竹と武者。梅と合点さん(布袋)など小人形。その前にも人形が並ぶ。 |
上写真; 氏子さま宅での、「降神の儀」。 |
上写真; 北酒井のオダイモク。酒井神社拝殿にて。屋形内に、三体の相撲人形が並ぶ。鯛を抱え釣竿を持った夷神が行司。そして大黒さまと布袋さまが相撲をとる。 |
上写真; 両社神社拝殿のオダイモク。人形は両社神社のお使いとされる兎や、舞姫や楽人や武者が並ぶ。餅で細工した釣瓶が4個並ぶのも特徴である。 |
上写真; 酒井神社での「湯立祭」。 |
上写真; 両社神社での「本殿祭」。神楽が奉納される。 |
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Last Updated 2010-01-01