日本! (近江の祭・火祭)
No.1 近江八幡 左義長まつり
撮影場所&日;滋賀県近江八幡市、平成19(2007)年3月18日
撮影機材;Nikon D70s+SIGMA10-20mm、D80+VR18-200mm
現地情報;駐車場は市営有料駐車場、市役所職員駐車場(無料):「喧嘩」見物は砂埃が凄く、マスク着用が良いかも。

左義長であるが、、、ドンド焼き、サンクロウ焼き、サエノカミなどと呼ばれることがあり、正月飾りである松飾や注連などを一箇所に集めて焼く行事である。語源は諸説あるようだが、一説には平安時代に正月や五月の節会に貴族が馬に乗り、紅白の毬を先がヘラになった杖で掬って遊んだ遊戯が由来しているという。打毬の楽で破損した毬杖(ぎょうちょう)を集めて焼いたのが、三毬杖・三木張・三毬打と云われたという。その後に仁明天皇承和元年、鎮護国家を祈る祭として青竹の束に扇子・短冊などを吊るし、陰陽師がこれを焼く行事を行なった。この時に毬杖を三つ結んで立てたことも左義長の語源に由来しているという。貴族が打って遊んだという打毬は、舞楽【打球楽】という左方平舞で当時の様子を彷彿することができる。左義長の語源の由来が定かでないのに、舞楽は当時の姿をほぼ保っているのが面白い。
近江八幡の左義長は、織田信長が当地に天正18(1586)年、城下町を開いた頃に始まり、信長自身がバサラな格好で踊りに出て楽しんだというように、内容は左義長に山車の喧嘩祭が合体したような祭りである。
現在、左義長は14基の山車が各町内によって2〜3ヶ月もかけて作られ、祭に繰り出す。山車は40人前後によって担がれるが、装飾がまた素晴らしい。干支の飾をメインにテーマを持ってデコレーションし、素材は穀物・海産物・地元名産品で作られる。祭の二日目の昼ころに、山車は日牟禮八幡宮前に集結すると、山車同士が激しくぶつかり合う「喧嘩」を始める。相手の山車を動けないように組み敷くと勝ちである。せっかく作り上げた山車が軋み、歪む。担ぐ踊子衆も見物衆も大興奮である。そして夜、18時半頃から八幡宮前に山車が集まり始める。20時、まず5基の山車に火がかけられ、炎上する(奉火)。手塩にかけて造りあげた山車に火をかける潔さ、炎上して神々に奉げられる左義長山車の周囲を別れを告げるかのように町衆が踊り周る。踊り狂い、祭に結集した皆の団結を喜び共に祝えたことを神々に感謝して祭は終わる。

≪参考≫ 日牟禮八幡宮HP


■左義長だしの「喧嘩」(日牟禮八幡宮前;13〜16時)


■左義長奉火(八幡宮前;18時子供左義長奉火、20〜23時奉火)


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Last Updated  2010-01-01