撮影場所&日;滋賀県栗東市大橋・三輪神社 、平成21(2009)年5月3日 撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm、D80+SIGMA10-20mm 三輪神社春季大祭において、「鰌取り」という神事が行われている。鰌(どじょう)取り神事は、俗称「鰌祭り(どじょうまつり)」とも呼ばれることがあるが、現地の氏子さんは、こうは呼ばない。俗称で云う処の「どじょう祭り」は、全国でもここだけという珍しい8ヶ月間漬け込んだドジョウの馴れ寿司(鮨)をご神饌として献供される祭祀である。しかもドジョウだけでなく、ナマズも用いている。 三輪神社の氏子域には現在、600戸ほどが住居しているが、祭祀は東と西に分けた宮座で、計34戸ほどで斎行されている。以前は昔から在住の者のみによって構成されていた宮座であるが、現在は制約は少なく、座に加わることも比較的容易になっているようである。東西で一軒づつが当番となるが、当番は二月に決められる。これは三ヵ月後の祭礼の当番ではなく、来年の春季大祭へ向けた当番である。当番は籤で決められるが、一度当った家は、籤から除外され、全員が一巡してからまた全戸によって籤が行われる。当番に当ると、鰌(どじょう)鮨に使うタデの栽培を三月下旬から自分の田で行う。そして春、お鮨に使うお米の田植えも行われたが、当番の家が全て農家でなくなった今は、このお田植祭は行われていない。9月になると、いよいよ鰌鮨の漬け込みである。これを「鰌取り行事」と呼ぶ。鰌鮨の漬け込みに使う材料は、下記の通りである。 どじょう3Kg、鯰(ナマズ)大2・小8、新米3.3升、食塩7合、蓼粉3升、蓼の茎2束、焦げ飯3合 等々 これを樽に、飯・どじょう・ナマズ・飯、、、と重層させて塩を振って重ね、30Kgの重石を乗せておく。中間水や塩の補充は、たまに行う。神社での行事もあるが、お鮨の漬け込みは当番宅で行う。 旧暦1月17日には、東西両当番が三輪神社で、「お弓式の儀」を行う。武射神事とも神社によっては称している、悪霊払いの神事である。 そしていよいよ春季大祭である。しかし当日だけでなく、三日前には「口開けの儀」として8ヶ月間漬け込まれた桶が開けられる。しかし実際に出来上がったお鮨を混ぜたりするのは、大祭当日である。大祭当日の朝8時、ご神饌の調製が始まる。鰌の入ったお鮨は、ドロドロになっているが、中には原型を比較的留めたドジョウもいた。ナマズも入っているが、これは乾燥防止の役目もしているという。桶の中でドロドロになったお鮨を、「漬け込み人」が混ぜ合わせる横で、大根・大豆・豆腐・タツクリ・芋・たら等を小皿に盛って、ご神饌とする。これを八膳つくり、釣台に納める。釣台は、唐櫃に納めて背負い棒で担いで社参する。 社参は午後1時に三輪神社着である。私がご神饌調製を拝見した当番さん宅は東組であったが、ここを出発したのは午後12時50分であった。社参行列は、区長・宮司・御幣・稚児・御神酒・釣台・氏子さんらと続く。神社では修祓・祝詞奏上・お神楽・玉串奉奠・お神楽と行われた。 祭典終了後には直会となるが、拝殿で一献が行われるが、この時は御神酒とお豆だけが肴であった。そして場所を社務所に移して二献目。この時は献饌した以外の大皿に盛られた鰌鮨も肴として出た。私はここまでで撮影を終えたが、三献目は当番宅で行われるようであった。 尚、鰌はこの地の川でも昔は捕れていたので普通に食したようだが、ドジョウ鮨という馴れ寿司スタイルで食べることは普段は無かった。神事や御神饌調製に女性が加わることは無いが、祭礼の直会が終わればドジョウ寿司は各戸に持ち帰ることができ、女性も食すことが出来る。まさにドジョウ寿司は、一年に一度のハレの御馳走であったのだ。 ちなみにドジョウ鮨、丸ごとのドジョウやナマズの切片はコリコリとして歯ごたえがあるが、程よい酸味と風味でご飯が欲しくなる美味であった。ただ、馴れ寿司が苦手な、あるいは食べれない人にはキツイだろう。 ※今回の撮影にあたって、当番様はじめ皆様に感謝申し上げます。 《参考資料》【食の文化誌】No.28(1987年9月)より『鰌と鯰の馴れ鮨』河村和男(食文化研究会) |
上左写真;酢樽の中の、どじょうの馴れ鮨。上右写真;同様に馴れ鮨になったナマズ。 |
上左写真;当番さん宅の神号に馴れ鮨など。上右写真;唐櫃に納められた八膳のご神饌。 |
上写真;神社への社参行列。 |
上写真;摂社・末社への献饌。むろんドジョウ鮨がメインディッシュ。 |
上写真;祭典における、浦安の舞。 |
上写真;直会の第一献は拝殿で行われる。拝殿での直会は、威厳を保って行われる。 |
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Last Updated 2010-01-01