■ 野神祭り(木津)
撮影場所&日;滋賀県蒲生郡日野町木津、平成21(2009)年8月23日
午後2時、集落の会議所を出発した上下の組は太鼓を先頭に、約400m離れた祭場へ向かう。日野川を渡った辺りで二手に分かれ、祭場の松の御神木に向かう。御神木は二本あり、上下の各組がそれぞれに供物をお供えするのである。供物は米粉を水で溶いて固めた団子であるが、形は鳥居や俵それにアニメキャラクターの人形の顔が描かれた平板なモノである。鳥居と俵形は二盆に乗せるが、俵形は50個ほど作り稲穂を一本立ててある。祭場では、御神木にそれらを削ってお供えしてから、卒塔婆の形の板を打ちつけ合ってから折り、その折れ方で上下の組の豊作を卜う。その後、上下の組はまた途中まで二手に分かれて祭場を出発し、橋の近くで合流する。出発地点の会議所へ戻る途中で、地蔵菩薩、八坂神社そして即往寺前の宝篋印塔にも供物をお供えして、野神祭りが終了した。
野神様は、若い女性だという。
私が思うに、女神様であるのは、産ぶ(むすぶ)の語源が娘(むすめ)、すなわち“産す女(むすめ)”に通じるからであろうと想像している。稲の神様など穀霊は、一般に女性の神様と云われているのは周知の処であろう。
であれば、祭場における二本の御神木は、陰陽、雌雄ではなく、純粋に上組と下組の二組の野神様の依り代ということだろう、、、ただ、そこら辺は不明である。
豊作を卜うのに、卒塔婆のような板を使うのも面白い。祖霊信仰が混ざっているようだ。卜で折れた卒塔婆のような板は、御神木に結ばれる。これも結ぶ=産すぶ(むすぶ)という、一連の産出する行為に繋がっている。
野神祭は、怨霊を攘したりするのではなく、豊作を祈願する行事と純粋に考えてよいだろう。しかしながら、野神様ってどのような神様なのか、、、ほんとうに興味深い。記紀には記載されていないような、素朴な漠然とした神様なのであろう。
余談になるが、鳥居や俵の形の作り物以外にアニメの人形が供物にある。アニメは無論、昔は無く、野菜や鯛などの御神饌を作っていたという。子供が多く参加していた昭和40年代頃から時代時代のアニメが作られるようになったのかもしれない。しかし残念ながら木津の小学生は5人前後しか居ないそうである。そのような事態になった今、再び昔のように野菜や鯛に戻してもいいのではないかと思うのだが。。。
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