■滋賀県長浜市小一条町、 平成25(2013)年8月24日
毎年8月24日前後の頃、近江では街角のお地蔵様の祠に提灯を飾ったりして子供らが集う地蔵盆の行事が行われる。
お地蔵様にお参りし僧侶の読経があったりもするが、お地蔵様の周りで子供らが遊ぶ姿が見られる。
今回、長浜市小一条町の地蔵盆にお邪魔させていただいた。上と下の二箇所にお地蔵様の祠があって、いづれも子供が主役である。
読経の時も最前列には子供が整列するし、三々五々 大人が参りに来る時もお下がりのお菓子などを手渡すのは子供である。
そのように子供が中心となるのが地蔵盆である。
現在は主に8月の中旬に行われるご先祖様の霊をお祀りする盆の行事と名前が似ているが、かつては「地蔵まつり」と呼ばれていたらしい。地蔵様を祀る行事は明治の神仏分離で神道を国家の宗祀にした際に、悪習として禁止された経緯があるという。その時にあたかも祖霊を祀る盆行事であるかの如く地蔵盆と名前を変えて時代を乗り越えてきたのが実情らしい。
では何故「地蔵盆」が子供の祭りであったかという疑問が出る。通常、お地蔵様は辻の塞仏(神)的に結界に置かれることが多く、よって道祖神に習合していることは知られる処である。子供の存在は集落、村にとっては繁栄の象徴でもあった。子供が疫病で早世するような時代、疫病が結界の外から侵入することは避けたいことであった。疫病神・悪霊の侵入の呪術的防御装置がお地蔵様であるなら、子供がお地蔵様に感謝するのは当然であったろう。小一条町においても、お地蔵様の下の祠は集落の南の境界部分に、そして上のお地蔵様は背後に山を背負った部分に抑えとして存在していた。集落を魔障から守っているのであろう。
そして万が一の場合、お地蔵様は身代わりとなられたり、早世した場合は地獄から子供を救ってくれたりもする。現世においても来世においてもお地蔵様は、子供を見守ってくれるのだ。
(小一条町の皆様には大変お世話になりまして、感謝申し上げます。)
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