平成29(2017)年から復活する D51がC56 に替わって充当される可能性が高い。 C56 が湖北(米原〜木之本)を走る最終年となるのだろうか。 |
上写真;3月6日撮影。C57が充当され、初春の風の強い中を駆け抜けた。 |
上写真;5月8日撮影。 石田三成の佐和山城をみてC56 が行く。2007年、彦根城築城400年祭記念事業の一環として、佐和山城の石模型が造られた。五層の天守閣のあった城だったというが、このような姿だったのだろうか? 徳川の世になって彦根城建築の時に、殆どの石垣の石などが運ばれて使われたので石垣の遺構は少ない。 |
上写真;5月8日撮影。山内一豊(1545〜1605年)と、妻 千代(1557〜1617年)の石像。千代は現在の米原市宇賀野の出身という説がある。 |
上写真2枚;5月15日撮影。 |
上写真3枚;5月22日撮影。 |
■ 平成28年度 夏の運転 夏の運転は8月14、21、29日の三日間であった。 C56 にとって、最後の湖北の夏となるのだろうか。湖北の風情と機関車を僅かな路地の隙間から写すのに、C56 はちょうど良いサイズなのだが。 |
上;商店街外れの踏切を汽車が通る。 |
上;「塀の向こうを汽車が通るよ。」「へぇ〜〜。」 |
■ 平成28年度 秋の運転 2016年 秋の運転は、10月9、30日 、11月6、13、20、27日の6日間行われた。 |
上写真;東海道線を米原に向けて回送されていく。お稲荷様の紅い鳥居の向こうを一瞬にして通過して行った。 |
上左右写真;米原を発車した汽車は新幹線高架を潜って加速する。左写真、新幹線を含めて4本の列車が写った。 |
★ 【日本の祭り in ながはま】 10月29(土)、30日(日)に長浜の4か所の会場で、全国および海外からの参加の祭り団体を含めて49もの祭りが披露された。会場は琵琶湖湖畔の さざなみ会場、長浜駅前の まちなか会場、浅井文化ホールでの浅井会場、そして木之本町の北国街道きのもと宿会場である。 巧くいけば祭りと C56型蒸気機関車が一緒に撮れる、と狙った。ただし長浜駅周辺では祭りと一緒に撮影するのは不可能だ。会場が線路から離れているからだ。だが木之本駅なら、なんとかなる と希望を持った。しかし催しの時間と蒸気機関車の走る時間が合致するのは少なく、撮影場所も限られる。 木之本の会場では6つの祭りが披露されたが、汽車の時間と絡みそうなのは「丹生茶わん祭」であった。 この祭りは午前午後の2回披露されたが、午後は汽車(回送)の出た後であり、午前が狙い目であった。 丹生の現地での祭りと異なり、曳山は一基であるし稚児も出ない。それでも道笛・花奴・曳き手・曳山・テコカキまで含めると、延長50mにはなる華麗な道行となった。 「丹生茶わん祭」は丹生の地に神様が降臨されて陶器の技を工人に伝えたという伝承が有り、その報恩感謝によって行われている。 山車は木製の曳山で、足利時代から伝わる曳幕と江戸時代から残る綴錦の見送りをつけ2ケ月前から潔斎した山作り(工匠)たちが作り上げる。荘厳は歌舞伎や物語から芸題を取り、その場面を人形と陶器でうまく組み合わせ高さ10メートルに積み上げられる。今回は、牛若と弁慶であった。 午前11時、木之本駅南側のロータリーを出た行列はお囃子を囃しながら駅の北側ロータリーを周回する形でねられた。 木之本駅前での「茶わん祭り」とC56、もうこの先、有り得ないだろう組み合わせだ。 |
上写真;曳山の背後を C56型蒸気機関車牽引の汽車が通る。 |
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上写真2枚;地蔵坂の賑わい。ここ地蔵坂では木之本地蔵院の地蔵大縁日の日には多くの屋台が並ぶので、2013年2015年にはC56と人の往来を一緒に撮影して、既にUPしてある。にもかかわらず、やらせでない自然な人物風景と汽車の組み合わせが好きで、またここで写してしまった。 |
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上写真;この日、濃霧で列車が全般的に遅れがちであった。送り込みも10分ほど遅れてやって来た。ついでにシャッターを切るのも遅れた(汗)。 |
上写真;沙沙貴神社社前通りの踏切。沙沙貴祭りでは この踏切を大松明神輿が通る。祭礼の日の賑わいとは異なり、雨の日曜日の朝、人通りも無い社前通りの踏切を送り込みが通過する。 |
上写真;平成28年度の撮影は 動態ブレ写真に始まり終わった。さて来年度の「SL北びわこ号」は? |
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Last Updated 2016-11-28